鉄道は記憶を乗せて。
こんにちは。
養命酒の熊谷です。
高校は会津若松でしたが、住んでいたのは喜多方でした。
本当に美味しいラーメン屋さんがあります。
例えば「游泉」というお店。
街外れにも関わらずお客さんがどんどん増えて、事務所を食堂に改築。
それでもまだまだ足りなくて、職員の休憩室も食堂にしてしまいました。
休む時間も場所もなくなってしまったわけですが、
それでも観光客はまだ少ないそうです。
ラーメンは住民食。
田植えの最中にも出前をとっていたような記憶があります。
そんな喜多方には日中線というローカル線がありました。
走行距離約10キロ、一日三往復だけの小さな路線です。
それも、朝と夜の通勤通学時間しか走りません。
日中走らぬ日中線。南北に走る線路を、太陽がまっすぐに照らします。
日の出とともに走り出す、真っ赤なディーゼル機関車と銀河鉄道のような木造客車。
その列車を踏切で見送りながら、小学校へ向かいます。
冬には、私の小さな体が胸まで埋まるほど、雪が積もります。
しかし、そんな中でもあの列車はやってくる。
吹雪のむこうからヘッドランプが見え、
除雪車を先頭に雪をかき分けやってくる。
私は雪に埋もれながら、息を呑んで鉄の行進を見守っていたものです。
休日は時折その列車に自ら乗り、
ちょっとした一人旅にでかけました。
山深い終着駅には自分のたなごころよりも大きなクモやナメクジがいたりして、
残酷な子供はそれをいたぶったりする。
ところがその遊びに駅長までもが加わって自慢げだったのは、
やはりのどかな時代だったということなのでしょう。
日中線が廃止になったのは昭和59年、私が8歳の時。
その終着駅は今も記念館として残され、除雪車と客車が展示されています。
私は、春にここを訪れることにしています。
撤去されたレールは車両の下に残されているだけで、太陽を浴びることもありません。
西洋風のモダンな駅舎の前で、かつてホームだった草原が茫漠な光を放ちます。
静かにそびえたつ、今はどこも走っていない二つの車両。
そして何かを誇示するかのように毎年咲き狂う巨大な桜。
駅は、花の中に浮かび上がった孤島のように。
ふと、思います。
この列車は、本当に走っていたのだろうか。
子供の頃の記憶は、絵本で読んだお話ではなかったか。
私が生きてきた年月は、どこに消えていったのか。
車両の錆びや座席の埃は、本当に時を刻んできたのだろうか。
それなりに大人になった私は、ナメクジを探すこともなければクモを殺したりもしません。
近くの温泉にのんびりとつかったりするだけです。
この間はカモシカが間近を横切っていきました。
またこのことを、絵本の記憶のように思いだすこともあるのかもしれません。
それでは、また明日に。
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