リレーコラムについて

こどもたち

尾崎敬久

仕事がうまくいっていなかった。
どうしたらいいのか、自分でもわからなかった。
ただ、いつもイラついていた。

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そのときの僕は、リクルートで求人広告をつくっていた。
入社4年目くらい。
ひと通りの仕事はできるようになっていて、
社内の広告コンテストでも、
ちょくちょく入賞するようになっていた。
それが、どうしたことだろう。
調子を崩した。
自分のコピーが、自分でいいと思えない。
同僚のコピーが、とても優れているように思える。
もちろんコンテストでは入賞できず。
だんだんと不安になって。
僕がコピーを書くなんてもともと無理だったんだよ、
みたいな気持ちになって。
それでも、仕事は、毎日舞い込んでくる。
降りかかってくる、というほうが正しいのかもしれない。
とりあえずは作らなくてはいけない。
カタチにしなくては。
カタチにするだけ。
クリエイティブではなかった。
当時付き合っていた彼女に、僕はよく仕事の話をした。
取材先の社長のこと。電話番号をミスして上司に怒られたこと。
社内コンテストで入賞したときは、トロフィー片手に喜びあった。
それが、知らぬ間に、愚痴に変わっていた。

「賞も獲れないような、
 そんなクソみたいな広告つくっていたってしょうがないんだよ!」

ドライブの帰り道、僕は彼女に吐き捨てた。
八つ当たりだ。どう見ても。
彼女は怒った。
迷惑だったからだろう。
違う。
自分が受けた不快感にではなく、僕の考え方に怒っていた。

「そんなこと言われたら、広告が可哀想だよ。あなたがつくったんでしょ?
 一生懸命つくったんでしょ?それって、あなたのこどもたちみたいなものでしょ?
 せっかく生まれて、なのにそんなふうに悪く言われて、可哀想だよ!」

彼女は泣いていた。
僕は、仕事を、広告をつくるという行為を、ナメていた。
生まれてくる、こどもたち。
デキの悪い子もいる。生まれる前に消えてしまう子も。
それでも、みんな、自分のアタマを痛めた子だ。
可愛いこどもたちだ。
時間がたって、頭が冷えて、
僕はようやく彼女の涙を理解した。

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それからしばらくたって、
彼女は僕の奥さんになった。
いま、僕と妻には2人の人間のこどもたちがいる。
親バカに間違いないが、とても愛おしい。
そして僕は毎日広告をつくっている。
可愛い子も、可愛くない子も生まれる。
けれど親として、精一杯の愛情をこめて、世に送り出したいと思う。

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僕のコラムを読んでくださったみなさん(が、いるとしたら)、
本当にありがとうございました。
バトンを渡された時は、
ムリ!ぜったい書けない!と思いましたが、
なんとか4回分書くことができました。
(1回分少ないですね。スミマセン)
時間が無かったのは確かだけれど、
それ以上に、何を書いたらいいかわからなかった。
だから、毎回、ふと思い出したことを書きました。
楽しいことばかりじゃないけれど、
たいせつな記憶です。
はい。下品と思われるものも含めて。
僕は、記憶でつくられています。
僕のコピーは、僕の記憶から生まれます。
わかってはいるのだけれど、
大事なことほど、すぐに忘れてしまうんだよなあ。

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次週は、ADKの森川くんにお願いしました。
2008年のTCC新人賞受賞者。
まだホヤホヤの会員です。
どんな話をしてくれるんだろ。
では、森川くん、よろしくお願いします!

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