リレーコラムについて

「会社」が、ない。

佐藤弘美

今では、卒業した大学に感謝さえ憶える入学式の前に、(理由は、はるか後半で)
厚生会(生協みたいなもの)という団体から、電話があった。
大学教科書販売のバイトの誘いだった。
電話の向こうでドギマギー(司郎、大好き)している男性の声、
僕を女性と思ってかけてきたのだっ。
「だ、男性でも、いいです。」というので、春休みから準備のために毎日通った。

そして、入学式当日。クラブの勧誘が、すごい。
でも、既存のクラブに入る気は、まったくなかった。
3浪といえば、現役で入っていれば大学3年だ。
ほとんど年下の先輩に「佐藤よぉ」とか言われるのが、いやだったからだ。
新しいサークルを作ろうと思っていた。
当時、流行のキャンパス誌が存在しない。作るしかない。勧誘で、20人を集めた。

その小さな総合大学は、全学部で約4000人。毎回500部発行して、完売の連続。
約8人にひとりが200円(当時)を払って読んでくれているのだ。
朝日新聞、スポーツ新聞、雑誌・・・次々と、そのキャンパス誌が取り上げられる。

自慢になるけれど、僕のおバカ企画が大人にウケた。以下、列挙しますね。
・ 真夏に2週間も髪を洗わずに、美容室の無料カットモデルに後輩を潜入させた。
もはやベタベタで、生ゴミな臭いがしている。
通常、洗髪なしでカットする。仕込んだ隠しマイクを再生して、笑った。
「お客様、オイルかなにかつけてますよね。」「ハイ。」
最小限の呼吸しかしていない声が、リアル。
「今日は特別に、髪を洗いましょうね。次はオイルつけないでお願いしますね。」
途切れ途切れの声が、一度遠ざかる。深呼吸をしに、席をはずしたのだろう・・・

その後輩は、キャンパス誌をもって面接に挑み、大学時代からバイトをしていた
テリー伊藤さんの当時のTV制作会社に就職。
が、すぐに退社。退散、が正しいかな。とにかく、ハチャメチャらしい。わかる。

・ 小学生から大学院生まで、同じキャンパスで学んでいる。
お坊ちゃん・お譲さん学校で有名。芸能人のご子息も、多数ご在籍。
そこで、「クイズ ○○小学校6年生 100人に聞きました」を、企画。
『おウチのクルマ、外車?』『松茸さ、今年食べた?』『お母さん、毛皮もってる?』
『よく遅刻しそうな小学生が駅からタクシーで学校に向かうけど、キミはする?』
『財布の中みせて?盗まないから』・・・結果を、グラフにまとめる。
予想以上のセレブな生活が、浮かびあがったのだった。

・ 最寄り駅の近くに、デートにぴったりの大きな公園がある。
夕方から、カップルのベンチ争奪戦がはじまる。僕も、参戦していました。
ただし、どのベンチも近くの街灯に照らされてロマンチックが明るいのが残念。
そこで、「○○公園 シークレットスポットBEST10」を、企画。

治安上、危ないところありますかって、公園内の交番のお巡りさんにも取材して。
危ないところ=暗くてロマンチックなところでしょうから。
「そうだね、暗くなってから空いたベンチの下に黒尽くめの服でぴったり収まって、
カップルが×××に熱チュウしてる間に、手を伸ばしてバッグから財布盗むとか」

女性部員と偽装カップルを装い、イチャイチャ場所を探しましたね。
この記事が雑誌「ノンノ」の目にとまり、
なんと拡大企画で、街の巻頭特集になったのでした。

・ 駅前の某有名喫茶店グループのお店に、
それはそれは怖いツッパリ兄ちゃんが働いていました。
そこで、「水のおかわりを延々続けてコーヒー1杯で何時間ねばれるか。」を企画。
しかも、その兄ちゃんにしか頼んじゃいけない、というルールで。
遠くに望遠カメラを構えたカメラ班も用意して、ドキュメンタリーしました。
ふたりで水を飲み続けて、交代にトイレに行って。
何リットルもの水が僕のカラダをすり抜けた頃に、怖くて耐えきれなくなり
トーストを1枚だけ注文しました・・・テーブルに放り出されたトーストには、
10本以上の爪楊枝がハリネズミのように刺さっていました。
心は、これから書く原稿の読者反応への期待と恐怖にWドキドキしながら、
カメラ班にトーストを向けたものです。この記事が朝日新聞記者の目にとまり、
そのまま多摩版に掲載されました。いいんですかねえ、天下の朝日さん。

・最後です。近くのデパートで群衆心理実験を、企画。
道路側にある広いスペースに、まず3人が屋上を見上げながら指をさしたり、
ボソボソ言ったり。そこに、部員と友人たち総出で5人→8人→15人→20人・・
どんどん野次馬を増やしてゆく。すると、近くを通るおばさんやら小学生やらが、
「どうかしたんですか」「なにか見えるんですか」「UFOかよぉ」
なんて言いながら、増える増える群衆が。ざっと100人は、いたと思います。
デパートの警備員は来るは、警察官まで自転車をとめて質問しだすは、で
ヤバイ雰囲気に。予定通り、部員全員、静かに順次退散・・・
もちろん、カメラ班はその増加する群衆を一部始終撮影したのでありました。
この記事は、どのマスコミからも引き合いはありませんでした。

やっと、タイトルの本題です。ごめんなさい。
とにかく、マスコミの仕事?依頼がすごかった。男子学生から見た、
女子大の文化祭のムフフな楽しみ方とか、別冊宝島の本を一冊企画してとか、
1年間連載のキャンパス・ポルノを実名で書いてくれとか・・
女子大生が、書いているみたいだから、だって。妙に、納得。
で、僕が実名で書いたのですが、結婚の時に、心を鬼にして捨てました。

そんなこんなで、職活の時期がやってきました。就職課に行って相談したら、
「佐藤君は、3浪だね。俗にいう一流企業は残念だけど、
門前払いのところがほとんどだと思いますよ。」だって。岩〜んっ。
つまり、受ける「会社」が、ない。マスコミ志望で文章を書くのが好きだった僕は、
雑誌社の編集者と付き合ってわかったのですが、
彼らってほとんど文章書かないんですね。
でも、小説家やエッセイストや脚本家には、なれません。
給料もらいながら文章を書けるのは、コピーライターしか、ない。
まだ糸井さんが世間で話題になっていない、コピーライターブーム直前の話です。

ここからが勝負だと、コピーライター養成講座と通信添削講座の両方で、
必死に勉強しました。Wスクールならぬ、大学も入れればトリプル・スクール。
卒業までに、広告表現、コピー表現、CI理論、マーケティング、プレゼン技術、
ネーミング、印刷、広告効果測定論、企画書の書き方、写真技術、メディア論・・
片っ端から、100冊以上は読みました。(これ、趣味の読書じゃあーりません)
もし、この根性が当時からあったら、一発現役合格でしたね。

おかげさまで、今の会社の中途採用広告を見つけ、新卒だったけれど
自己PR文と読んだ本のタイトルを一覧にして送り、面接・採用となったのです。

まさに、この幸せな仕事につけた、すべてのきっかけが、“3浪”にあったんです。

さらに、コピーライターは学歴評価じゃありません。
大手の広告会社などは採用時に「大学名」は少しだけ有効かもしれませんが、
入ってコピーライターになってしまえば関係ないですよ。
僕の会社には東大、京大院、東北大、横国、早慶上智立教(たくさん)出身の
後輩コピーライターがいます。(いました)。
でも、関係ない。TCCの会員も、関係ない。

生まれかわっても、また絶対コピーライターになりたい。
“3浪”ありがとう。3年前に天国に行ったオヤジ、ありがとう。
あの時の一眼レフ、まだ大切にしてるよ。使ってないけど、ね。

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