リレーコラムについて

田中 -第4話-

永野弥生

父が断腸の思いで譲った2羽の烏骨鶏を、
「鳴き声がうるさくて眠れないから」
という理由で、食べてしまった田中は、
こともあろうに、また新しいひよこを
譲ってくれと言ってきた。無邪気にもほどがある。

いつだったか、野良犬にうちの鶏小屋を襲撃され、
烏骨鶏のほとんどを食べられてしまうという
凄惨な事件が起こったときも、
泣く泣く焼却炉で残骸を焼いていた父に、
「美味しそうな匂いがする」と言って、
逆鱗に触れたことがあった。

さて、そんな田中の
「食べてしまったから新しい烏骨鶏をくれ」という
理不尽な要求は、さすがの父も断わった。

すると今度は、どこからか品評会で優勝したという
チャンピオン烏骨鶏の卵を入手してきた。

卵があっても、かえす親鳥がいないだろう?
と、尋ねると30万円もする
「孵卵(ふらん)機」を買ったと言う。

田中は、当時ほぼ無職だったが
しばしばひとり身の強みを発揮して、
思いきった買い物をした。

一方、父が手づくりの鶏小屋にほどこした装備といえば
ホームセンターで数百円出せば買える
「ひよこ電球」ぐらいだった。
たくさんの雛がかえると母鳥の暖かい懐に入りきれない。
そんな時、活躍するのがひよこ電球だ。
小屋を照らすための電球ではなく、
ひよこたちが暖をとるための電球だった。

中国にそのルーツを訪ねたい。と、
本気で言うほど烏骨鶏を愛していた父は、
きっと、のどから手が出るほど
孵卵機がほしかったにちがいない。

だが、その頃、私は多摩美に通うため上京していた。
一介の酒屋で、娘を東京の美大に行かせるのは、
簡単ではなかったはずだ。
唯一の趣味とはいえ烏骨鶏の餌代も馬鹿にならない。
とにかく、父は孵卵機を買わなかった。

数ヵ月後、チャンピオン烏骨鶏から生まれた
サラブレット烏骨鶏が、ちっとも卵を生まないと
憤慨した田中は、裁判をおこすには
どうしたらいいか?と父に相談しに来た。

それからも父は烏骨鶏にまつわる
田中のもめごとに頻繁に巻き込まれることになる。

それが億劫になったのか、
他にやむなき事情があったのか、
いつしか父はあんなに大好きだった烏骨鶏を
ぜんぶ知人に譲った。

すると、程なく田中の家からも、
あっさり烏骨鶏はいなくなった。
ついには4、5台の孵卵機を揃え、
養鶏場でもやるつもりかと囁かれていた田中だったが、
固執していたのは、烏骨鶏ではなく
父との「共通の趣味」だったのかもしれない。

そして、それは田中にとって
おそらく人生最後の趣味らしい趣味となった。

つづく

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