リレーコラムについて

転機、の話。

北田有一

いまは名刺にコピーライターなんて
書いてありますが、
昔は、日本語が嫌いでした。

というのも、親の仕事の都合で、
2歳から12歳くらいまで、
アメリカに住んでいました。

いわゆる、帰国子女って奴です。

両親は二人とも日本人なので、
家では日本語、学校では英語。

幼い頃は、親や兄弟との時間が長かったので、
会話は日本語から入ったわけですが、
小学校くらいから、
家以外ではずっと英語を使うようになりました。

なので、だんだん、日本語って奴が、
めんどくさくなってくるわけです。

漢字とか、カタカナとか、敬語とか、
あと、まわりくどい微妙なニュアンスの表現。
文章は、主語がなくても成立するし。
なんなんだ、このめんどくさい言葉は、
と思っていました。

で、ある時に突然、日本に帰ることになって、
今度は日本の学校に行くことになるのです。

朝礼とか、給食とか、日直とか、席替えとか、
なんだこれは?とか思いつつも、
なんとか空気を読んで、みんなの真似をして、
すこしずつ慣れていきました。

しかし、いちばん慣れるのに時間がかかったのが、
国語とか現代文の授業です。
テストで
「下線?の文で、作者は何を伝えたかったのでしょう?」
などという問題が出ると、
「自分が難しい文章を書くのが得意だと、伝えたかった。」
とか答えていました。

でも、中2くらいのときに、その転機は訪れるのです。
(そういえば、人生の転機って、
 だいたい中2くらいで訪れますよね。
 どうでもいいけど、不思議。)

その頃、国語の授業で、月イチくらいで作文を
提出させられていました。
その提出した作文が、ある時、授業で褒められたのです。
「好きな色」について書くっていうお題だったんですけど、
いつも怒っていた先生が、そのときだけは、
ベタ褒めなのです。

日本語的には、まだまだ下手だったと思いますが、
内容がすごくいいと言って、クラスの前で読まれるわけです。

普通だったら、ここで喜ぶのですが、
性格上、負けず嫌いなもので、嬉しかったのと同時に、
「ヤバイ、次からどうしよう」
と不安が押し寄せてくるわけです。

で、そこから日本語を猛勉強しました。

典型的な、褒められて伸びるって奴ですね。
日本の教育システムも、まだまだ捨てたものではありません。

日本語嫌いが、急に、日本語好きに変わって
大学受験も、いつの間にか文系で受けていたし、
小論文を得点源にするようになっていました。

大学に入ってからも、
海外のテレビ番組を翻訳する(字幕を書く)バイトをしたりして、
いつの間にか日本語を生活の糧にしていました。

字幕って、ちょっとコピーと似ていて、
いかに少ない文字数で、
言いたいことを伝えられるかが、勝負なんです。

画面に入る文字数は、番組によって違いますが
15文字×2行とかだいたい決まっていて
その中での工夫が必要です。

直訳しただけではつまらないし、
長すぎると読みきれない。
日本人に分からないギャグは、
日本人用のギャグにアレンジしたり。

この時の経験は、コピーを書くときに
ちょっとだけ活かされている気がします。

そんなこんなで、嫌いだった日本語が、
いつの間にか好きになり、
お金をもらうようになっているんだから、
人生って不思議ですね。

あと、嫌いと好きって、やっぱり大事。
人間、好きなことに注目しがちだけど、
たまには嫌いなものに目を向けてみると、
意外な発見がありそうです。

というわけで、
今週のコラムを担当しました電通の北田有一です。
ありがとうございました。

スタートが遅れて、どうなることかと思いましたが、
なんとか5つアップできました。

次週のコラムは、同じ帰国子女で、
TCC同期で、今たまたま一緒に仕事をしている、
シンガタの萩原ゆかさんにお願いしました。

博報堂出身の、美人ママCMプランナーです。
やさしい、癒し系の方です。打ち合わせでは、
いつも静かに、ニコニコしていて、
一瞬、油断しそうになるのですが、
めちゃくちゃおもしろいコンテを書く人です。
セリフが、繊細で、かわいくて、ちょっと変です。
では、よろしくお願いします!

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