リレーコラムについて

父の話

宇野元基

すいません、ネタがないので中2日ほどバッくれて、じゃなくて仕事優先で過ごしてしまいました。が、明日の夜で日曜日になってしまうことに先ほど気付き、そろそろ巻き返しをはからねばなりません。今日明日と、短い時間ですので、どうか駄文にお付き合い下さい。

立ってるものは親でもつかえ、というわけで、再開一発目は親父の話です。
うちの親父は変わってます。企業勤めのサラリーマンなのに、会社に許しをもらって冬でも夏でも一日中作家さんのような作務衣を着ています(僕も人のこと言えませんが)。さらに家でも外でも薄茶色のサングラスをかけて白い長髪をオールバックにして流しているので、普通の人は滅多に近寄ってきたりしません。歩いているだけで職質されるタイプの人間です。しかも未だ心は学生運動の中にあって、好きな言葉は「革命」、口癖は「ち、犬め」と面倒臭い性格で、ついでに任侠ものの映画が大好きという、とにかくザ・反体制な人でして、人生に対する考え方の違いから十数年前に母とのコンビについて実質的発展的解消を果たし、その後一人で苛烈に生きてきました。ただ無頼を貫く生き方は、息子から見ても実はほんのちょっとだけかっこよく思えたりする時もあります。

そんな親父ですから、資本主義の片棒を担ぎまくる仕事をしている我が子のことも毛嫌いしているかというと全然そうではなく、実は以外に寂しがり屋で、親父はことあるごとに離れて暮らす僕に電話をかけてきます。
菅原文太の写真が見つからないからネットで探してくれだとか、絶版になった東大全共闘の写真集を奇跡的にブックオフでゲットしたとか、とにかく独りよがりな話題を引っ張ってきては、こちらの都合を気にする事なく無理矢理僕とコンタクトをとりたがります。

まだ入社して2年目ぐらいのときでした。打ち合わせの最中に、やたら親父からケータイが鳴る(バイブで)ので、こないだ観ると言っていた『実録・沖縄やくざ戦争』だかなんだかの感想を伝えたくて電話かけてきてんのかな、なんて思ってシカトしていたわけです。後で折り返しゃいいだろ、と。

ただ、電話が鳴り止まない。留守電音声が流れると一旦切って、その後またかけ続けてくる。そういえば、その前日も電話がかかってきていましたが、プレゼン準備をしていて電話をとることができませんでした。
いくら社会性を欠いているとはいえ、沖縄のやくざやら全共闘の話やらで、真っ昼間からこんなに長いことサラリーマンである我が子の電話をストーカーチックに鳴らし続けるほど、ウチの親父の常識は欠落してないはず。

30分ほど鳴ったり切れたりの繰り返しがあまりにしつこいので、これは何かあったのか、と嫌な思いが胸をよぎりました。実際その頃の親父は身体が弱く、肝臓を患っていて、具合の悪いときは一人で家で寝込むことが多かったわけです。
しかし僕が目の前にしているのは直上のボス。そして議題は僕の査定。打ち合わせとはつまり上司との査定面談でした。ちなみにうちの会社ではそれをPDM面談と呼んでいます。
身内に変人がいるということをボスに知られたらかないませんし、仕事のふりしてプライベートの電話に出る、という大人のスキルは身につけていなかったので、親父の電話に出る事ができませんでした。

そんな僕の気持ちなんかおかまいなしで、ケータイのバイブはブルブルブルブル震え続けるわけです。とーちゃんと査定のどちらを選ぶんだ!お前はやっぱり資本主義の犬なのか!と、まるでケータイが僕を糾弾しているようでした。

30分ほどしてようやく長かったバイブ攻勢が止み、わかった親父、後で速攻かけ直してやるからちょっと待ってろと、ほっとしながら上司と話をしてたら、今度は、コンコンとドアをノックする音がして、管理のおねーさんがおそるおそる覗き込み、青い顔をしながら僕にこう言うわけです。
「宇野さん、あの、たった今お父様からデスクに電話があり、至急電話してください、とのことです。」

デスクに電話とはやっぱりただごとではない、こりゃあ何かあったに違いねえ。と一気に緊張が走りました。布団の上で息も絶え絶えになりながら、息子の名前を呼んでいる親父の姿が目に浮かびます。空気を読んだ上司が、すぐ掛けてみろと言ってくれたので、僕は恐る恐る電話をかけました。

そしたら、親父が出て少年のように明るい声でこう言いました。
「いやー、元気?昨日から電話出ないから、何かあったんじゃないかと思って心配して電話鳴らしまくっちゃったよ。」

・ ・・・何かあったのか心配したのはこっちッス。どれだけ寂しがりやなんだよ親父!会社にわざわざ電話してくんな!
怪訝な顔をしながら目の前にいた上司に僕がどういう弁解をしたのか忘れましたが、実際は別にやくざや全共闘の話じゃなかったのでムカつきはしませんでした。

父よ、いつも心配してくれてありがとう。ただ、息子には電話に出られないときもあるんだよ。

という長い割に半端なオチの家族ネタでした。ただ本当にあったことなので仕方ありません。
ちなみにこないだ寂しがり屋の親父に懇願されて、「バーダーマインホフ理想の果て」という西ドイツ赤軍の映画を渋谷に二人で見に行ってきました。作務衣をきて、サングラスをかけながら歩いている初老の親父の姿は、イカつい若者達の街の中で、一番凶悪そうに見えました。

 

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