コピー?俳句?
赤井宏
調子に乗って、さらに俳句の話を続けます。
さる方に言われました。「コピーライターって、いつも仕事でコピー考えてるやん。うんうん唸りながら。そやのに、趣味の時間に、また俳句をうんうん唸りながらひねっているの、辛くないんかなあ?俺にはその神経がわからん」。
おっしゃる通り。ときどき自分でも同じ思考回路を使ってるなと感じることがあります。通勤電車で切羽詰ってコピーを考えているように、夜の句会に出さなきゃいけない句を考えているとか。とくに、俳句を始めた頃はそうでした。だから、仕事が立て込んでくると脳の思考する部分が占拠されてしまって、俳句の入り込む余地がなくなってしまう。結果、句ができない、句会はパス、という状況によく陥ってしまってました。
そういう状況から脱するひとつのきっかけになったのが、吟行句会に参加したこと。吟行句会というのは、ある場所を歩き回って目に入るものを句材に俳句をつくり、すぐに近所の会場で披露し合うという句会。とにかく時間がないから、あまり頭の中でひねくることができない。思い切りよくつくっていかなきゃ間に合わない。仕事で言えば、オリエン翌日プレゼンみたいな状態ですね。そういう状況でままよと出した句が、意外なことにいつもより評価が高い。なんだ、それでいいんだと、ちょっと目覚めさせられた気がしました。
そんなことをきっかけに、少しずつコピーと俳句の線路の切り替えがうまくできるようになってきて、俳句を楽しめるようになってきた気がします。
頭を使うな、と言われます。コピーライターは、俳句に向いていない。うまくなるのに、デザイナーやフォトグラファーより時間がかかる、とも言われました。要は、「頭の中だけで、観念的につくらない」ということに尽きると思います。まあ、人の心に残る名コピーも同じかもしれませんが。
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