無差別コラム【現代社会の歪み】
このコラムを書くにあたり、昨日までの3日間は、
「自分が全然詳しくないことについて書く」という
よくわからないルールを、自分に課して楽しんでいました。
で、紅茶とサンバと宇宙人について色々調べながら書いたのですが、
いかんせん、全然詳しくないし、こだわりがあるわけでもないので、
我ながら何が言いたいのかよくわからない、
気骨に欠ける内容だったと思います。ごめんなさい。
今日からはちゃんと、自分の話を書こうと思います。
さて。
ここで素朴な疑問ですが、パソコンを使って文書を作成するときに
上記のような「書く」という表現は適切なのでしょうか。
個人的には、「書く」という言葉には「筆記用具」の印象が付随するので、
ちょっと違和感を持ってしまいます。そんなことないですか?
かといって「打つ」とか「タイプする」とかもいまいちですよね。
なんか、いい言葉はないでしょうかね。
・・・と、与太話はさておき、
別の与太話を始めたいと思います。
昨日は終電ギリギリまで働いていたので、
トイレを相当我慢して、会社からホームへと急ぎました。
結局、終電の時間にはギリギリ間に合ったのですが、
そこで「電車が5分ほど遅れております」とのアナウンス。
今度はトイレのほうがギリギリになってしまいました。
広い駅(東京駅)なので、トイレは遠い。
ここでトイレに行ったら、終電が出てしまうかもしれない。
でも終電を待っていたら、別のものが出てしまうかもしれない。
そんな中で思ったのは、
3大欲求と言われる食欲、性欲、睡眠欲よりも、
じつは排泄欲のほうが強いのではないか、ということです。
しかしそこで僕は、ある真実に気づきました。
排泄はおそらく、発汗に極めて近い行為であり、
社会的常識による制限さえなければ、
いつでも、どこでも、もっと手軽にできるはずのものなのだと。
食欲や性欲は、対象がなければ解消しにくい。
睡眠欲は、不用意に満たすと外敵に襲われるリスクがある。
けれど排泄欲は、よくわからない社会常識にとらわれさえしなければ、
その時、その場所で、即刻解消できるものなのです。
つまり、現代社会は、人類が本来なら感じなくてもよいはずの
「排泄を我慢する苦しみ」を生み出すほどに、歪んでしまっているのです。
それでは皆さん、また明日。
横田俊郎
リクルートメディアコミュニケーションズ
yokota_t@r.recruit.co.jp
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