こんばんは、大貫先生です。
大学3年のとき、なまりだした体を軌道修正するために、
スポーツクラブでアルバイトを始めました。
プールやジムをただで使えたからです。
当初はプールの監視員をするつもりでしたが、
そこは子供のスイミングスクールも兼ねていて、
僕が入る時期にたまたま先生が不足していました。
そのため、いちおう4泳法ができた僕も指導をすることに。
僕は初級クラスの担当になり、けのびやバタ足を教えました。
生徒は4〜7才の子たちが、だいたい15人くらい。
すぐに溺れるし、すぐにもらすし、すぐに吐く。
そんな彼らをひとりで1時間相手にする、
なかなかハードな仕事でした。
そのスクールには、レッスンが始まるとき、
声をあわせて先生の名前を呼ぶという決まりがありました。
僕も今では履けないブーメランパンツ姿で、
生徒たちに大声で名前を呼ばせました。
「おーぬきせんせーい!」と。
なかでも、いつも誰よりも大きな声で
僕を呼んでくれる子がいました。
リョウケイという名前の男の子でした。
彼は、先生たちの間で有名な聞かん坊だったのですが、
なぜか最初から僕は彼に気に入られました。
僕と接する彼は、他の先生と接するときと明らかに違って見え、
たまに他の先生と担当を代わる週があると、
「大貫先生じゃないと絶対にヤダ!」と彼はいつも言いました。
だから、彼を進級させるときは悩みました。
僕のクラスじゃなくなったら、泳がなくなると思ったので。
でも、ずっといさせるわけにもいかないし、
ちょっとずつだけど上達したごほうびに、
進級のハンコを押してあげたい気持ちもありました。
悩んで、悩んで、悩んだ末に「リョウケイ、合格だよ」と言うと、
彼は「でも、大貫先生がいい」とは言わず、
「先生、ありがとう」とも言わず、
「うぉー!ヤッタ!」と言いながら、
お母さんが待つ方へダッシュで去っていったのです。
彼は翌週別の先生のもとで、とても楽しそうに泳いでいました。
そして、ビート板を持ち、僕の教えたバタ足をしながら、
隣のコースにいた僕を「おーぬきせんせーい」と呼びました。
前の週まで僕を呼んでいた声より、はるかに小さく聞こえました。
あれから10年。
僕は水泳のジュニアオリンピックのポスターをつくり、
TCC新人賞をいただきました。
あの頃4〜7才だった子が、ちょうど出場している大会。
コピーを書きながら、彼のことをよく思い出しました。
失恋したときのような気持ちにさせた
「おーぬきせんせーい」というあの声は、
ペンを握ってもがく僕を励ましてくれる声に変わっていました。
リョウケイ、ありがとう。
2742 | 2010.06.12 | 最後に、大貫冬樹です。 |
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