リレーコラムについて

きゃっかん性。

大重絵里

今朝、側転をしながら登校している児童を見かけた。
別の日ではあるが、
頭にランドセルをくくりつけて歩いている2人組の児童を見かけたこともある。

かくいう私も、小学生の頃、
そこらへんに生えている草花に唾をつけ、それを顔中に貼付して登校していた。
制服のスカートをはかずに、ブルマで下校したこともある。
さすがに小学校低学年の話だけど。

側転しながら登校している児童を見て、
ほほえましいと思うと同時に
私はいつから「それ」をやらなくなったのだろう、恥ずかしいと思うようになったのだろうと考えた。
(通勤の満員電車がひどくて、文庫本を読むスペースもなかったのが理由)

好きな人ができたとき?→いや、彼の前でも顔に草花をつけていた。
先生に怒られたとき? →いや、ブルマ姿を怒られた記憶はない。
友達と喧嘩したとき? →あ、これかも。

電車を降りる頃には、友達との喧嘩をありありと思い出していた。
小学生の喧嘩はえぐい。一挙一動をつまみあげられ、辱めをうける。
私はここで、顔に花をつけることや、ブルマ姿を罵られたのだろう。たっぷりの放送禁止用語で。

それから、処世術として自分の眼以外に他人の眼を身につけるようになった。
人にどう思われているかをちゃんと気にするようになった。
はじめての客観性がついた瞬間、客観バージンが破られた瞬間はやっぱり痛かった。

いま広告の仕事をしている。
人にどう思われるかを意識しないと成り立たない職業だ。

人生において無駄はない、という。
あの頃のひりひりとした思い出も、こうやって今につながっていると思うと、
けっこう前向きに生きられますね、こうやってコラムのネタになったし。

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