リレーコラムについて

安全の基準、安心の基準。

山上勇人

最近、ニュースでよく耳にする
「基準値のXX倍の放射能が検出されたが、ただちに健康への被害はない。」
とかいう話。

「大丈夫です。」と言われる程かえって不安になるみたいなパターンってのは、
世の中にゴロゴロしているわけだが、それらに共通しているのは「胡散臭さ」だ。

最初の文章の場合、まず「ただちに」ってのが胡散臭い。
たしかに、いまこの瞬間にクリティカルなダメージは無いんだろうが
この先、何十年もこの地で暮らしていく前提でいる僕らにとって
「何十年にもわたって、健康への被害はない。」という話をしてくれないと
正直、ちっとも心は安らがない。そもそも僕らが被爆に対して持っている
イメージって、すごく時間をかけて、じっくりダメージが出てくるってもののはず。
そういうみんなが持っている「将来」への不安に対して、ひたすら「ただちに」ってコトバを
繰り返して「今」を乗り切ろうとしても、それはやはり、無理があるとしか思えない。

そして、もうひとつ、とってもとっても胡散臭いのは、
「基準値を超えてるのに、大丈夫」というロジックそのものだ。
そりゃあ、基準値ってのはある程度、安全のための余裕をもって作られるものだろう。
でも、それの何倍、何十倍の数値を示しておいて、大丈夫といわれても
「それは、素人の目から見てもぜったい大丈夫だよね!」とはならないのが普通である。

科学的に、きちんと説明されれば、その値でも大丈夫なことは、
おそらく僕らでも理解できるだろう。でも問題はそこじゃない。
何も事件が起きていない平常時の前提で、少しでも何か異常があったら
それを見逃さないようにと作った基準値は、実際に被害が発生拡大し始めて
異常がある前提に条件が切り替わった際には、もはや機能していない
ということに気がつくべきなのだ。

「安全のための基準値」ではなく、「安心のための基準値」。
いま、僕らにはそれが必要だとおもう。
いつもとは違うけど、それでも安心していられるために。

NO
年月日
名前
5805 2024.11.22 中川英明 エキセントリック師匠
5804 2024.11.21 中川英明 いいんですか、やなせ先生
5803 2024.11.20 中川英明 わたしのオムツを替えないで
5802 2024.11.19 中川英明 ドンセンパンチの破壊力
5801 2024.11.18 中川英明 育児フォリ・ア・ドゥ
  • 年  月から   年  月まで