1円玉と100円玉
3年ほど前に、アウシュヴィッツに行ったことがある。
人類の負の遺産であるこの強制収容所は、
ドイツにあると思っていたら、ポーランドにあった。
こういう場所を訪れるのは、自分なりの覚悟がいる。
晴わたる初夏だったせいか、緑溢れる避暑地みたいな場所に思えた。
高圧電流をながす有刺鉄線がなければ、
レンガ造りの収容所は、まるでウィスキーの蒸留所のような印象だった。
どれだけ残酷な歴史を持っているかに関わらず、
陽の光はあくまで美しく、風は軽やかに吹いていた。
150万人とも、400万人ともいわれる死亡者。
ユダヤ人が最初に大量移送されたのは、1943年の1月。
ソ連軍によって解放されたのが、1945年の1月。
わずか2年の間に、アウシュヴィッツでの惨劇は起こったのだ。
ユダヤ人の数え切れないほどの写真が、廊下の壁を埋めている。
収容直後だったせいか、まったく状況が掴めないとばかりに、
カメラを向けられ、反射的に微笑んでいる女性の顔もあった。
施設内を歩いてまわると、「死の壁」といわれる銃殺場、
ガス室、立ち牢、絞首刑台、略奪された膨大な遺品の数々。
「これが人間がしたことなのか」と、
自分の目を疑いたくなるような負の遺産が並んでいた。
「どんなに無念で、どれほど過酷だったのか」
無数に並ぶ3段ベッドの粗末な木枠を見て、
犠牲者の心情をできるかぎり想像したいと思った。
でもむしろ、わたしが考えてしまうのは、
そのそばに立っていたであろう、看守のことばかりだった。
もし、自分が看守という任務を告げられたとしたら・・・。
ドイツの都市に住んでいれば、アウシュヴィッツは異国の僻地である。
有刺鉄線を奇跡的にくぐり抜けても、
歩いてはどこへも辿り着けないような場所だからこそ、
わざわざ収容所を作ったのだ。
そんな勤務地に赴任し、栄養失調で飢えていく人々を昼夜監視する。
不衛生な住環境で、チフスなどの伝染病が蔓延する。
監視を拒めば、怠れば、自分が殺される。
命まで奪われた犠牲者の境遇と比べることはできないが、
職業として、これ以上最悪なものも思い浮かばない。
つい先日、ユダヤ人大量虐殺に関与したといわれる、
91歳の元収容所看守に禁固5年の判決が下された。
彼は戦争捕虜だったウクライナ人で、ナチスの命令で働いていたという。
最大14万人にのぼった強制収容者。
悲惨過ぎて、わたしの想像なんかでは、
到底及ばない、分かるわけがない、という思いもあったのかもしれない。
気づけば、あまりに数の多い「犠牲者」を、
わたしの脳は、ひとつの「塊」で捉えてしまっていた。
例えとして適切かどうかは分からないけど、
1円玉が100枚集まると、
それは100円玉という1つのコインになってしまうように。
100円玉に形を変えた1つのコインを、
1円玉に分解して捉え直すことは、思いのほか難しいのだと知った。
だから「たくさんの犠牲者」よりも、「ひとりの看守」の方が、
わたしが想像するには、都合が良かったのだ。
どんなに数が多くても、脳が勝手に「塊」として認識しても、
「個」として捉えられなければ、自分と遠いものになってしまう。
「被害者」や「加害者」と、集団でくくってしまうのは、
どこか実情を曇らすことになるのかもしれない。
アウシュヴィッツの収容者という「塊」にも、
それぞれ一人一人に思考があり、生活があり、名前があった。
それはナチスという「塊」においても同じことだ。
「そんなの当たり前だ」と常日頃は思いながらも、
その場で忘れている自分が何より恐ろしいと感じた経験だった。
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