住宅地に、沼
霧のような細かい雨が降る夜、家までの道を歩いていた。
駅から離れるにつれ、人影もまばらで、淋しくなってくる。
住宅地を抜け、もうすぐで家という至近距離まで来たとき、
あたりから突然「沼のような匂い」がした。
「沼のような」というより、
「ここは沼」というほど強烈な匂いで、
池でも、湖でもない、特有の生臭さを帯びた空気が漂う。
流れのない水。水を吸った土。ぬかるみの生き物。うっそうと茂る草。
住宅街の中に、そうそう沼なんてあるわけないのに。
家に近づくにつれ、どんどん沼に近づいているようだった。
「ぅわぁぁーーーーーーー!!!!!!!」
女の叫び声が、暗がりに響き渡る。
犯人は、わたし。原因は、蛙。
雨につられて道路に出てきた蛙が、仰向けに倒れていた。
内蔵が飛び散っている様子からは、クルマにでも轢かれたのだろう。
その一片をあやうく踏みそうになってはじめて、
わたしは蛙の存在にようやく気がついたのだ。
「沼」の原因も、この蛙だったのだ。
蛙の血肉を育んだであろう、飲んだ水、食べたもの、吸っていた空気。
それらが混じり合った匂いが、道路一面を覆っていた。
アスファルトの上に、完璧な沼を作り上げていた。
まじまじと見る気にはなれなかったけど、ひとしきり驚いた後、
「すごいな、蛙」という、尊敬する気持ちが湧いてきた。
わたしだって、そんなコピーを書いてみたいと思ったのだ。
蛙の匂いは、「蛙」ではなく、出自である「沼」を再現していた。
コピーから伝わることが、書いてある以上の生業や情景や感情。
1本のコピーをトリガーに、そんなことまで自然と頭に描かんだら、
言葉になりきらない価値が伝わってくるコピーになるのかも・・・。
そんなコピーを書いてみたい!
蛙の冥福を静かに祈り、わたしは家の鍵を開けた。
わたしがもし蛙と同じ状態で倒れていたら、
あの道はどんな匂いに包まれるのだろう? どんな世界が広がるのかしら?
そんなことも考えてみたけど、まったく想像もつかなかった。
来週は、資生堂の小幡観さんです。
数年前から仕事をご一緒させていただいてますが、
小幡さん独自のユニークな視点と感覚にびっくりすることばかり。
どんなコラムか想像もつかない・・・。
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