長谷川等伯の松林と、あの一本松
前々回、陸前高田の浜に残った一本松のことを書きました。多くの反響を
いただきました。そのなかに、大学1年になった孫が「あれは僕の祖父です」と、
知人に当てたつぶやきがあってびっくり。日ごろ会えずにいた孫と、こんな形で
つながっていた。ふしぎで、うれしい体験です。
それを知らせてくれたのは、若い友・石川淳哉君。そしてブログアップを支援
してくれている彼と、彼の会社ドリームデザイン社員たちのおかげです。
互いにつながり、支えあっていきている世の中。
IT世界がほとんどわからない老人が、思わぬところでその威力に直面して
驚いたのです。このようにITの力によって、人は人と連帯していく。それが
新しいコミュニケーション社会の特長なのだと実感しました。被災地と日本全国を
結ぶのも、北アフリカに「春」をもたらしているのも、ITコミュニケーション力が生み出す
連帯力なのでしょう。さて、
松の木が思い出させた長谷川等伯
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昨年3月、東京国立博物館で『長谷川等伯展』を見ました。昨年が等伯の没後
400年に当たり、
国宝3件、重要文化財約30件が一挙に公開されたのです。
等伯といえば、かの水墨画「松林図屏風」でしょう。しかし、その枯淡崇高独自に
至る道のりの初期には多くの仏画があり意外でした。
日蓮上人をなん枚もなん枚も描いています。南無妙法蓮華経と、題目を大書した
掛軸もある。どれほど熱心な法華経信者だったことか。これは、ぼくにとって発見の
ひとつでした。
多くの批評や解説はほとんど彼の信仰に触れていません。迂闊というべきでしょう。
等伯という人物を予見なく見ようとすれば、初期の数多い日蓮肖像画を
無視するわけにはいかない。そう思います。
テレビ映像でみた陸前高田の一本松。そして等伯の幽遠なる松林。
松たちは時空を超えて海の声を聞き、人間の暮らしに深くかかわっていた。
その思いを改めて噛みしめています。
思わず、宮澤賢治を連想
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等伯の日蓮上人像を眺めながら連想したのは宮澤賢治でした。あの賢治もまた
熱心な法華経信者であり、その信仰から生まれる価値観と直観から彼の詩も童話も、
農学校での生徒指導も生まれたはずです。しかし、賢治の詩や童話など文学的な
仕事への評価が高いのに対し、人間賢治の心の根源にあった法華経信仰を重視した
解説や評論はほとんど見られません。片手落ちを超えて、
公正さを欠いているように
思えます。
知識人にとって、宗教に触れることはなぜ苦手なのでしょう。できれば触れずにいたい、
そんな空気があるようです。そこからは、ほんとうの芸術評論は生まれないのではないか。
等伯と賢治の本当の研究評価はこれからだと感じます。
宮澤賢治が心に描いた理想郷「イーハトーブ」。岩手県のどこをイメージして
いたのでしょう。岩手県、いや新しい東北コミュニティ復興計画の精神的コンセプトとして
「イーハトーブ」のことを噛みしめてほしいと願います。
真実の追求は難しい。しかし、ものごとを見るとは、虚心に見る、与件なく見る、
五感で見る。既製概念にまどわされずに、自分の直観と知性、そして想像力を
働かせて見ることが大切なのではないでしょうか。
きょうも、あの陸前高田の一本松が気になっています。海の水にひたされつづけて、
枯れてしまわなければいいのですが。
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