万年筆で友だちに
万年筆で手紙を書いてくれる友だちができました。
昨年11月の【コピー年鑑発刊記念パーティー】での出会です。
その日、ぼくは【コピーの殿堂入り】の栄誉をいただき、
壇上で短いスピーチをしました。会場はパーティに変って、賑やかな人びとの交流に。
するとしばらくして、美しい女性がぼくに近づいてきた。やわらかく上品な笑顔。
ぼく、ちょっと緊張してしまった。
名乗り出たのは、電通の薄景子さん。ぼくのスピーチが印象に残り、挨拶に
見えたと聞いて、ぼくはうれしくなりました。しばらく立ち話をしていると、薄さんは
「手紙を書いてもいいですか」という。
「もちろん」とぼく。「でも、できたら万年筆で書いていただけませんか」。
「えっ、万年筆でですか」。
「そう。万年筆で書いていると、インクが紙に沁みて行くでしょう?
その沁みて行った文字には、思いがこもっていると思う。しみ込んだ思いが、
相手に伝わるんです」。
ぼくは勝手な持論を言ってしまった。
「はあ、・・・。そうですか、そうですね。きっと、そうですね」。
「そうですよ。ボールペンじゃ、ダメなんです。心が文字に、便箋にしみ込まない」
薄さんは素直な人でした。ぼくの独断を真に受けてくださり、
「万年筆でお便りします」ということになりました。
その後、心ひそかに女文字の封書を待っていました。なかなか、届きません。
やっぱり現代の女性は、そんなめんどくさいことはしないのか。
メールとケイタイの世の中だからなあ。
ところが、諦めかけていたある日、すてきな封筒が配達されました。
裏を見ると薄景子、自宅の住所です。ちょっと、ときめくものがありました。
(遥か昔、そう、60数年前の少年時代に手にした憧れのひとからの
封書を思い出したのです)。
とてもいい手紙でした。心のこもったひと文字ひと文字。確かにインクがしみ込んでいる。
そのインクに薄さんの思いも沁みている。くせのない素直な書きぶり。
人柄がよーく出ています。内容もうれしいものでした。
彼女は、お気に入りの万年筆を銀座中探しまわって、ようやくエメラルド色の一本を
見つけたのです。その万年筆で書いてくれたのでした。
ぼくも返事を万年筆で書きました。パイロットの太字。
若いころは欧米の万年筆に憧れて、あれこれ試したものです。
いまでもたまに使うことがありますが、日本の文字はやはり日本製のものがいいと
気づきました。
きのうの朝日新聞夕刊に
さらさらと
万年筆心地よい
ペンドクターに魅力聞く
という見出しの記事が載りました。それを読むうち、そうだ、あしたのコラムは
万年筆を取上げよう、という気になりました。
(薄さん、あなたのお名前を無断で出してしまい、無礼をここにお詫びします。
原稿締め切り時刻が少し過ぎているのです!)。
薄さんは、すてきな童話も書いておいでです。コピーライター兼・童話作家。
ぼくはコピーライター兼詩人と言われました。あるとき、ぼくの詩集の発刊パーティで
土屋耕一さんがスピーチに立ち、「朝倉勇は、コピーと詩と、軸足が2つだ。それを、
なんとかこなしている・・・」と励ましてくださいました。
軸足は一本の方がいいと思う。でも、どっちも捨てられないのですよ。
薄さんは両立十分とお見受けします。秘かに声援を送っています。
やがて書店に並ぶ日がくるでしょう。皆さんも楽しみにしていてください。
2974 | 2011.06.17 | 金子光晴さんと、ぼく |
2973 | 2011.06.16 | 万年筆で友だちに |
2971 | 2011.06.16 | 長谷川等伯の松林と、あの一本松 |
2969 | 2011.06.14 | 朗読詩 |
2968 | 2011.06.13 | アイデンティティ |