金子光晴さんと、ぼく
これは、金子光晴さんの写真ポスターに寄せて書いた詩です。
風
ほんとのことが言えたらな
目が見たことが言えたらな
思ったことを便りに書けたらな
頭の上を吹く風よ
仲間がいま何をしているのか聞かせてくれ
彼はいま何を見ているのか
もうひとりの彼は何を考えているのか
遠くの彼はだれと心を通じているのか
あのひとの目は何を言おうとしていたのか
そんな気持が歌に うたえたらな
優しさが音に表せたらな
そしたらぼくはぼくになれるのにな
1975、6年ころのこと。アートディレクター細谷巖さん
(ライトパブリシティ時代の先輩・友人)が、すばらしい金子光晴さんの
顔写真を見せてくれました。写真家・小林正昭(「さようなら、人類。」の
ゴリラを写した)さんが撮った一枚でした。
細谷さんはその白黒写真で個人的なポスターを創ろうとされ、
言葉を求められたぼくは、これを書きました。金子さんの顔に、
深い思いが滲んでおり、多分悲しみを包み込み、
その目は遠いところを見ている。そんな印象を受け、
このような感傷的な気持に誘われたのでした。
後輩のひとりが、フォークシンガーの高田渡さんが曲をつけて
歌っていると知らせてくれたのは、しばらく経ってからのことでした。
その曲は古いイギリスの民謡らしいさびしいもの。でも、心にしみる。
ひとりの老詩人の肖像写真が与える印象が、このように人びとに
創造的な波紋を生んだのです。
金子光晴さんも高田渡さんも亡くなり、この「風」♪は
「高田渡トリビュート」というCDの中の一曲になっています。
金子光晴さんといえば、1956年1月、2月、3月とつづけて、
ぼくの投稿詩をラジオ放送で選んで下さったことがあります。
それを最後にラジオ文芸放送は終了になってしまったのですが。
稿料は当時。一篇500円。NHKの300円より、ずっとうれしかったものです。
やがて第1回ユリイカ新人賞の公募があり、ぼくは佳作第一席に
選ばれました(受賞者なし)。
審査員は、西脇順三郎、草野心平、金子光晴、村野四郎、山本太郎、
安東次男といった錚々たる詩人でした。それが縁で、ぼくは
「歴程」(草野心平、山本太郎などの)に招かれ、いまも同人をつづけています。
人との出会い。それは、自ら小さな石を池に投げることで始まるのではないか。
ぽちゃん! と響く音。そして小さいが遠くまで及んで行く波の紋。
それによって思わぬ人からの反応があり、繋がって行く。それが「人生」なのでしょう。
そして、心を惹くものを感じる五感。それが可能性を広げます。
コラムの最後に、さらに短い詩を置こうと思います。
朝
ふりむくと
ジャスミンだった
匂いでも
光でも
念いでも
心にしみるのが 善い
ひとは
惹かれて生きるのだ
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