紛れもなくこれもコピーなんだな(2) 「脱」と「卒」
僕はもう何も言うまい。言えば言うほど、僕はなんにも言っていない。(太宰治『道化の華』)
という気分。昨日、言い過ぎたので、今日は、就業前の朝に仕上げて、
「サ〜ラリとしたコラ〜ム♪」にしようと思います。
「卒原発」という提言を滋賀県の嘉田知事が提言するそうで
「脱原発」とよりも「段階的に卒業していく」ニュアンスの言葉らしい。
死んでも流行らん気はするが、「私の考えに近い」と思ってやられるのであれば
それはそれでいいんじゃないだろうか。
コピーライターは、武村正義元滋賀県知事で、「新党さきがけ」だった方です。
がんばれ、日本の知事たち!
ということで応援はしたい。
でも、東京の人からみたら、なんて関西は悠長なんだろうと思うかもしれないな。
良くも悪くも、それが地域差・温度差ということなのだろうけど。
「卒原発」、
「Tea Party」だと運動につながるんだろうけど
「卒原発」では運動につながらないから、なんかダメなんだろうか。
思えば、1995年の4月に、ボクは社会人になり、7月に関西に配属になって、やってきた。
阪神大震災の時で、実をいうと、その後に起きた地下鉄サリン事件の方が
当時、東横線を使っていた人間としては衝撃が大きかった。
しかも実は、神戸の惨状を目の当たりにしたことはない。
慣れない土地で、慣れない会社で、慣れない職種についたこともあって
大阪と寮のあった箕面を往復する以外、ほとんど外出することがなかったからだ。
いや、週末は、ほぼ東京に帰ってたんだ。
当時、流行ってた遠距離恋愛というやつ。
今思うと、酔ってたな、遠距離を健気に演じる自分に。
神戸の意識より、全く視線は東に向いていた。
広告やるなら、東京だろ。くらいの若さだったと思う。
だから、当時、長田に住んでいた義理の弟が朝の4時くらいまで一階のコタツで寝てて
ふと寒さで目が覚め、二階にあがったところで地震が起き、一階が全壊だったという話を
聞いても、実感レベルではそれがどんな偶然であったかを
イメージすることは難しかった。
でも、41歳を迎える今となれば、他者の「悲しみ」に対して共感できる心は
多少なりとも養えるようになったと思う。
明日は、そこのところを、少し書きちらしたいと思う。
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