リレーコラムについて

軽重

藤本宗将

「話したいことがあるんだけど」

新入社員時代の師匠であるTさんが電話をくれたのは、
入社8年目の夏頃でした。

「○○の件で」とかじゃなく
単に話したいことがあるというのは、もしかして…
自分の中で緊張が走りました。

なぜなら、ある噂を聞いていたからです。

約束の日。指定された居酒屋に行くと、
僕の予感は確信へと変わりました。
そこには兄弟子のSさんも呼ばれていたのです。
ふたり並んで師匠を待ちながら、当然話題はあの噂です。

「やっぱり、例の話ですよね?」

それぞれ社内の噂では聞いていたのです。
Tさんが会社を辞めると。

育ててくれた師匠の、重い決断。
そしていま「話したいことがある」と僕ら弟子が
わざわざ社外で呼び出されている。
想像されることは、ひとつしかありません。

(誘われたら、どうする?)
(はい、もちろんついていく覚悟で)
(…だよな)

そんな感じでひそひそ話をしていると、
約束の時間にすこし遅れて師匠が入ってきました。
そして僕らのまえに座るなり、軽く言ったのです。

「俺こんど会社辞めるんだけど、
 一緒にやってる仕事は
 そのまま続けるからよろしく頼むね」

えっ?

それだけ!?

ていうか冒頭に言う?

一緒についてきてくれないか的なやつは?

にぎやかな店内で、僕らのテーブルだけ
あきらかに変な空気になっています。

兄弟子のSさんは、
この日のために家族会議までしたそうです。
嫁のいない僕とて、
ひとり家族会議をしてきているのです。

そもそもこういう話って、
最近どうなの?みたいな軽いところから入って
お前らとはいろいろあったよなー的な回想のくだりがあって、
ひとしきり盛り上がったところで
「実は…」と重々しく切り出されるものではないのでしょうか。
僕らはドラマの見過ぎでしょうか。

慰留するわけでもなく祝福するでもなく
ただただ微妙な表情の弟子たちを見て
Tさんも何か言わなきゃと思ったらしく、

「ふたりともいい流れがきているときだから、
 いまは会社の中でがんばったほうがいいと思う」

とかなんとか諭されました。

たしかに、兄弟子Sさんは
当時すでに気鋭のCMプランナーとして活躍されていました。
僕のほうは流れらしきものがきてる感じは
ちっとも感じなかったのですが、
なんとなく一緒に説得されてしまって
おかげさまでいまも辞めずに会社に残っています。

ちなみに会社だけでなく
コピーライターを辞めようと思ったことも
何度となくあるのですが、
それを思いとどまらせてくれたのもTさんです。

新入社員のとき何をやってもダメだった僕は、

「自分は向いてないんじゃないでしょうか?」

とTさんに相談したことがあります。
すると、こう言われました。

「新人のうちに自分で向き不向きなんてわかるわけがない。
 向いてなかったら俺がハッキリそう言ってやるから、
 お前はそんなこと考えずに安心して仕事しろ」

なにぶん15年も前のことなので
おそらくTさんはそんなこと忘れてしまっており、
2011年11月22日現在、
僕に適性がないという宣告はまだありません。

だからしょっちゅう「向いてないなあ」と凹みながらも、
僕はあきらめずにコピーライターをつづけています。

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