私は福島の生まれです(二)
私は福島の生まれです。
震災から一週間ほど経った頃から、私の出身地を
知っている、さまざまな人から温かい
お見舞いの言葉をいただきました。あらためて
ありがとうございます。すごくうれしかったです。
電話やメールで、そしてわざわざ会いにきてくれて
私の実家の安否を気にかけてくれたみなさまのことは
生涯忘れることはありません。
前述したとおり、福島県といっても私の故郷である
会津地方は、震災の直接的被害や原発事故の影響も
ほとんどなく、そのことを説明させていただきました。
「それは、よかったですねぇ」と
手放しで喜んでくれるやさしい人々。
人の思いやりを目の当たりにしているのに
奇しくもそれは震災がきっかけだったことを皮肉に
感じたりもしました。
そうして、さらに少しだけ時間が経った頃
忌々しい余震はまだ断続的に続いていて
その都度テレビに映し出される地震速報のテロップが
震源地や各地の震度を伝えていました。
震度3:福島県浜通り 中通り・・・・・・・・
この繰り返されるアナウンスが
一部の人間の関心に火をつけたようです。
やはり、私の出身地を知る何人かの知人が
私に耳打ちをするように、こう聞いてきたのです。
「浜通りと中通りってどんな通り・・・?」
アホか、という声も聞こえてきそうですが
お願いですから、彼らを許してあげてください。
知人は本気でした。決して悪気はないのです。
むしろ福島に関心を持ってくれて
心配までしてくれているのですから。
きっと、彼らのなかでは
山手通りや明治通りのような、いや、もっと大きな
二つの幹線道路が福島県の南から北へドーンと
貫いているようなイメージだったのでしょう。
関心を持つきっかけは何でもいいと思うのです。
どんな些細なことでもいいと思うのです。
知らないふりをしているより、ぜんぜんましです。
東日本大震災からもうすぐ一年です。
マスでは特集が組まれ、各地でさまざまな
式典が催されることでしょう。
大いに結構、どんどんやりましょう。
震災のこと、東北のこと、そして福島のこと。
関心のなかった人は、関心を持ってほしい。
関心の薄れてしまった人は、思い出してほしい。
まだ一年しか経っていないということを
まだ何も解決していないということを
どうか、感じてください。
恐ろしいのは無関心と忘却です。
ところで、街にあふれていた募金箱たち
善意のキャンペーンたち
君たちは今どこに行ってしまったのですか。
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