誰かの力は、わたしの力になりました。Mのこと。
連投です。
きのう書こうと思っていたひとのことです。
げんきなひとです。
いそがしいひとです。
だから、ちょっといま、心配なひとです。
おとなのおんなのこの
アートディレクターのお話です。
Mは、男気がある。
「男気」という言葉は、
女性のためにあるんじゃないかと思う。
逆に、「女々しい」というのは、
男の、というより、
ぼくのためにある言葉だと
確信していたりもする。
そんな女々しいぼくと男気のMが会ったのは、
まだ、大手町の会社で
ぼくが鼻の穴を膨らませてふんぞり返っている
どーしょーもない時代。
勘違いも甚だしいんだよオマエは、と
周りから鼻をつままれていた頃のこと。
あるケータイの仕事で、
当時、田町にあった某博報堂の
クリエイティブディビジョンのトップでもある
恩師に紹介されたのがはじまりだった。
ちょっとへんちくりんで、
おもろいひとだな。そう思った。
心の中に喉があるなら、
そこに引っかかった魚の小骨のように、
アートディレクターとしてのMの存在が、
むず痒くて、とても気になっていた。
その後すぐ、別のシャンプーの仕事があり、
Mにソッコーでオファーした。
最初は、やります、という話だったのだけれど、
彼女が東欧かどこかに急遽ロケに
行くことが決まってしまい、
その話は、ぼんやり流れた。
なのに、
降りたはずのシャンプーのミーティングの場に
Mが突然やって来た。
休日だったと思う。
スタッフとして混ざることができないことを
大手町まで詫びに来た。
ちょっとびっくりした。
「男やなぁ」と、思った。
その数年後に、
Mが某博報堂からジャンプして、
新たな場を産み出したあとも付き合いは
続いている。
昨年の、
日本中が忘れることができないあの日。
その翌日、明けた12日の早い午後、
ぼくは、Mの事務所にいた。
彼女は、防災ヘルメットを被って、
無心にデザインというより
心とからだを動かしていた。
Mとそのスタッフ、
それとおまけのようなぼくは、
被災地を支援する東京が停電するのは、
絶対に避けなくてはいけないので、
そのための節電をお願いする
Mが言うところの“しるし”をつくっていた。
その“しるし”に入れるべき“ことば”を
どうしたらいいのかということを
ぼくは考えていた。
Mは、SUPをする。
海が足りなくなると元気がなくなるらしい。
ただ、元気じゃなくてもいーんだよ。
音がまったく消えてしまった街の、
その先にある海を眺める。
ぼくの気持ちは、
震えながら、でも前を向いて、きゅっとなる。