誰かの思いは、わたしの思いでした。Rさんのこと。
きょう東京は、
さくらが満開になったと発表されました。
こちらは、もう散り際の、
夜のさくらです。
で、さいごは、演出家の方のお話です。
Rさん。
ぼくは、ファーストネームで
ずっとそう呼んでいる。
このひとといっしょに、と言うより、
この人の背中を涙で霞む目で追いながら、
青息吐息で後ろにくっついて
とぼとぼと走った時間が、
今のぼくのある部分の血肉を
ほとんどをつくったと言っていい。
Rさんにはじめて会ったのは、
ぼくが30歳を少し過ぎたあたり。
ぼくはと言えば、
傲慢が人間の皮を被ったような有り様で、
隙を見せたらアンタの喉笛
噛み切っちゃうんだもんね的な、
己のぺらぺらの虚勢に己自身が溺れている。
そんな感じだった。
そのぼくの喉笛どころか、
急所という急所を、あっという間に
雑作もなく喰い破って全身血だらけに
キュアしてくれたのが、Rさんだった。
「なにがおもしろいの」
あとは、脳みそが酸欠になるほどの沈黙。
血が滲むほど舌を噛んだ。
三十路をぶら下げたいい大人の男子が
ほとんど舌を噛み切る寸前の
落莫たるミーティングルームに
他の人間は、まず、入ってこない。
ドアの内側から発するドス黒い兇悪な気の塊、
のようなものを誰もが察知してる。
ほとんど横溝正史の開かずの間だ。
これが、ぼくの企画を見せたあとの
Rさんの第一声からのいつものルーチン。
何度、和田倉門のお堀に飛び込んで、
亀や鯉と一緒に泳ごうかと思ったことか。
それがいつしか快感に変わり
己のM体質の開花へ、なんてことは全くなく、
もちろん、回を重ねるごとに
見るに堪えないというRさんの顔が表出する
その回数が少しずつ減っていった、
などという奇跡が起きるはずもなく、
シリーズをつくりつづた。
Rさんの言葉、
Rさんの画コンテ、
そのカットの傍らに書かれたト書きにある
Rさんの手書き文字。
Rさんのアングル、演出、
そして、衣装選び、音楽の選択、ロケ場所への、
美術への思い、そして本番から編集の所作、佇まい、
とにかくすべてに影響された。
Rさんとの、
そのシリーズは3年と少しで終わった。
すごい大団円もなく、
固い握手もなく、ど派手な打ち上げもなく、
Rさんとぼくの制作チームは、
静かにほぐれた。
あとには、数十本に及ぶその仕事と、
3分数十秒のつくりかけの
あるパイロットフィルムが残った。
数年後、とある二人組のアーティストの
PV制作の話がぼくのところに転がり込んできた。
3ヶ月連続でシングルを出すという。
その3曲すべてをやらないかというものだった。
そのとき、Rさんとつくった
そのパイロットフィルムをレーベルの
担当プロデューサーに見せた。
それから数ヶ月後、
二十数分の短編映画が完成した。
たった2週間のレイトショーではあったけれど、
銀座の裏通りにあるキネマの周りに
行列ができているのを見た瞬間、
ぼくは、踵を返して、浴びるように酒を求めた。
ほんとうにうまい酒だった。
いつかまたRさんと、そう思う度に、
ぼくの気持ちと、喉笛と、
とある急所が、激烈に、きゅっとなる。
来週のコラムは、南米の地よりお送りする予定です。
もしかすると、
通信手段がままならないことがあるやなしや。
そのときは、ご寛恕ください。
書き手は、最近、すっかり痩せてしまった
POOL代表の小西利行氏です。
コニタン、よろしく。