リレーコラムについて

引っ越しました

渡辺潤平

先週末、渡辺潤平社は、3度目の引っ越しをしました。
6年間で4軒目の事務所です。
我ながら、何やってんだろうなぁ…と思うこともあります。
だけど、失敗したなぁ…と思ったことは一度もありません。

独立して初めて借りた部屋は、神宮前2丁目のオンボロビルの3階でした。
床が傾いてたり、すきま風がひどくて、
冬はダウンジャケットを着ないと過ごせないほどだったり。
いま思うと過酷な環境だったけれど、初めての「自分の城」に、
言いようのない高揚感を抱きながら過ごしていたのをよく覚えています。

それまで、原宿という土地にとくに馴染みはなかったのですが、
不思議と肌が合って、それからは原宿界隈が自分のホームになりました。
二軒目の事務所は、千駄ヶ谷3丁目。原宿駅から5分ほどの、
閑静な住宅街にある古びたマンションでした。
リビングルームの真ん中に、大きな木のカウンターがあって、
そこが僕の作業スペースであり、打ち合わせテーブルでもありました。
事務所そのものがちょっと広くなった分、
お客様を呼んで打ち合わせができるようになりました。
それがとても嬉しくて、コーヒー豆にやたらと
こだわり出したのがこの頃です。

その事務所から歩いて3分ほど。
明治通りに面した古くて大きなマンションの8階が、
3代目潤平社でした。
圧巻だったのは、ゆうに一部屋分はあったルーフバルコニー。
目の前には、明治神宮の森がもの凄いスケールで広がっていました。
雨の日は、蒸せ返るほどのマイナスイオンが部屋にたっぷり注ぎ込み、
日頃の疲れを癒してくれました。
週末になると、呼んでもいないのに大学時代の友人達が事務所に上がり込み、
仕事をしている僕を尻目に、優雅にバーベキューを楽しんでいました。

そして、先週誕生した第4代の渡辺潤平社。
仕事の行動範囲や、打ち合わせに来てくださるお客様のアクセスを考えて、
原宿の街に別れを告げ、渋谷へと居場所を移しました。
渋谷駅から南に歩いて5分ほど。
並木橋の交差点に程近い古びたビルが、新しい潤平社です。
(個人的な趣味も手伝って、うちは、いつも古いビルです)
目の前には、金王神社の巨大な鳥居が鎮座しており、
窓からその鳥居の頭頂部が見下ろせるという、
ありがたいような罰当たりなようなロケーションが、
来てくださる人を早くも楽しませてくれています。
すぐ近くに青山学院大学と国学院大学があるため、
朝は女子大生達が鈴なりになって、事務所の前を通り過ぎていきます。
おかげでますます、朝型生活になりそうです。

こうやって振り返ると、独立してから今日まで、
僕は事務所に育ててもらった気がします。
不安と孤独に苦しんでいた僕を守ってくれたのは、初代潤平社。
フリーとして生きていく決心をつけさせてくれたのは、2代目潤平社。
コピーライターとしての野心や度胸を植え付けてくれたのは、
3代目潤平社でした。

これから、新しい街で、新しい事務所で、
自分をどうやって成長させていけるだろう。
新入生のように、不安と期待で胸を膨らませながら、
新緑の香りが爽やかな、金王神社の参道を歩く毎日が始まりました。

NO
年月日
名前
5793 2024.11.05 御倉直文 コピーと短歌は似ているか?違うか?
5792 2024.11.04 御倉直文 短歌、はじめました。
5791 2024.11.01 長谷川智子 愚痴る力
5790 2024.10.31 長谷川智子 茄子の煮物はタイムマシン
5789 2024.10.29 長谷川智子 スペイン語に騙されて。
  • 年  月から   年  月まで