リレーコラムについて

うまずい広告

清水清春

そういうわけで「うまずい」は
広告にも存在する。
少なくとも私にはそう思える広告がいくつかある。
そのひとつが、

♪まっちゃまちのふくいたや にんぎょとゆいの

「人魚と結乃」ではない。人形と結納の店である。
関西の人ならすぐに木魚のリズムを
思い出されることだろう。
大阪のローカルラジオCM。
私が大阪で大学に通っていた頃からなので
30年は経っているのだが、もっともっと前から
放送していたようにも思う。

企業名と扱い商品しか伝えていない。
これはコピーなのか、CMソングなのか、
あるいは長めのサウンドロゴなのか。
そんなことはこの際どうでもいい。
ただの懐かしいローカルCMじゃないか。
そんなこともええいうるさいうるさい。

とにかく非常ににシンプルなのに、
なんとも忘れ難いインパクトがある。
しかも超ロングランで、おそらくは
今も放送されていると思う。
ひねりにひねったアイデアとか、
凝りに凝った演出とか、磨き上げた完成度とか、
そういうものとは無縁のどストレートCMである。

とっても失礼な言い方になるが、
ローカルだし、たぶん広告予算も潤沢でないし、
なおかつ伝えることは変わらないし、もっと言えば
「広告なんかそんなもん」という感じでつくられて
そのまま今まで使われてきた気もする。
でもその力のぬけ具合が、そしてなんというか
過剰に表現に寄りかからないとでも言うような
なーんにも考えてない風のスタンスが、
たいへんうまずくていい。

どなたかは忘れてしまった上に言葉の記憶も
あいまいだが、ある著名なクリエーターの方が
たぶんこんな意味のことを言われていた。
「年鑑に載った過去の作品を眺めても、
それに広告としての価値はない。
掲載された時、放送された時に機能して
価値を発揮するのが広告なのだから」。
であれば「♪まっちゃまちのふくいたや」は
数十年間「現役」で機能している広告だと言える。

果たして私は、たとえば自分がこの世を去った後も
機能している広告をつくることなどできるだろうか。
得意先から愛され、受け手からも愛され、
究極のワンパターンでずーっと表現が変わらない、
あるいは変えたくない広告。
もしかするとそれは一行のキャッチフレーズだったり
あるいは企業スローガンだったりするのかもしれないが、
この一生の間にできればひとつ、つくってみたいものだ。

かくして「うまずい広告」は、私の生涯の目標と
なったのである。(おいおいほんまかいな)
うまずい、おそるべし。

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