リレーコラムについて

明日があった。そして僕はここにいる。

成田倫史

こんにちは。最終日となりました。
どれくらいの方に読んでいただけてるのか、
やや不安ですが
頑張って読んでいただけた方、
ありがとうございます。
こんな機会はもうないものと思い、
毎日綴りました。
大広名古屋支社の成田倫史(ともふみ)です。

最後は今だから言える「明日があった」で
締めたいと思います。
とはいえ、途中何度も
明日が見えなくなったのですが…。

TCC新人賞の応募は36歳からだと記憶していますが
40過ぎてからは正直きつかったです。
自問自答してました。
TCCだけが自分のやるべきことのすべてではない。
ひとりでも振り向いてくれる広告がつくれたら
それでいい。

そうはいっても、どこかでTCCって
どんな場所なんだろう?
何が見えてくるんだろう?
その景色、見れるものなら見てみたい。

毎年応募することもままならず
7度目の応募だったと思うのですが
まさかの結果を知らされた晩は
驚いて、嬉しくて、酔いつぶれて、壊れてしまいました。
どうなってしまったか?
一部の方はご存知ですがご想像にお任せ致します。

あれから時間が経つにつれて
気のせいかもしれませんが
知り合いがふえ、視界がひらけた感じがしたり
今までとは違う感覚で作品が見えてきたり。
あぁ、これなのか。
そこに行かないと、見えない景色。
まだ漠然としているのですが
ただ一つ、自分の中の変化を
しっかり感じとるものができました。
TCCの責任感です。
背負いました、間違いなく。
次なるトライアルを探さなくては…
あえてこの場で自分にプレッシャーを
かけようと思います。
この闘い、きっと終わりはないだろうなぁ。

最後に…
5日間文字にしてみて
見えてきたことがありました。
そうか…

原点が20代にあったから、あの時手紙をかけた。
結婚の転機があったから、あの時TVとグラフィック両方学べた。
坊主頭になったから、あの時音楽に強くなれた。
35の分岐点があったから、あの時コピーを頑張ろうと思った。
チームがいたから、これまであきらめずにいられた。

…明日があった。そして僕はここにいる。

そうなんだ。
どんなに苦しくても、
まわりに熱い人たちがいた。
明日があったんだと思います。
TCC新人賞に手が届いたのではなく
自分のすべてを出しきった仕事だったこと。
これがすべてなんだと今思うんです。
たくさんの人に恵まれた結果が今の僕であり
お世話になった人と気持ちを一つにして
一緒につくったんだと
そう思っています。

けしてきれいなクリーンヒッターではないんですが
こんなタイプの人もいることを知ってほしいという思いで一生懸命書きました。
この話が、きっと誰かの何かの勇気になりますように…
1週間綴らせていただきました。
おつきあいいただきありがとうございました。

さて来週ですが
TCC会員の中に
私の原点、三晃社DNAをもつ優秀な後輩が3名います。
ADK中部の森川くん…あめで私を追い越していきました。
大広東京本社の半谷くん…補聴器で私を追い越していきました。
風トラの金田くん…おしっこで私を追い越していきました。
このうちのひとり
三晃社の、そしてCCNのDNAで東京に進出し
2006年パナソニックの補聴器シリーズで
TCC新人賞を受賞したサーファーコピーライターの
半谷(はんや)くんにバトンを渡します。

半谷!頼むわ!

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