リレーコラムについて

ピアノのこと。

山崎隆明

幼少の頃、クラシックピアノを習っていた。
私と鍵盤との出会いは、年長組の時に行ったヤマハのオルガン教室。
すぐに集団で習っていたオルガンが退屈になり、
親にピアノを習いたいと言ったらしい。
自分では、まったく覚えていないが。

一人っ子だったので、最初は親も渋った。
男はピアノを習っても、みんなすぐにやめる。
とてもじゃないが、飽き性の私が続くとは思わなかったのだろう。

小学1年生の時、あまりにも私がしつこく言うので親も諦め、
YAMAHAのピアノを買ってもらった。
はじめて家にピアノがきた日の事は、なんとなく覚えている。
我が家にピアノがきた!と大喜びしたわけではなく、
でかいな、と感じただけ。
あれだけ欲しいと言ったのに、別にうれしいとは思わなかった。
親はそんな私をみて、「ぜったい続けないと許さないよ」と言っていた。

レッスンは土曜の午後。
仁川ヤンキースという少年野球チームに入っていたので、
野球の練習を終えてから、レッスンに通った。
たまに練習が遅くなると、校庭まで母親が迎えにくる。
それがイヤでイヤで、仕方なかった。
別にお金持ちでもないのに、なんとなく山の手な感じに抵抗感を覚えた。

小3の時にいちどだけピアノをやめたいと言った事がある。
親は怒らずに、「好きにしなさい。但し、ピアノは明日売るからね」
とひとこと。
その夜はピアノの下に布団をひいて、寝た。
このピアノがなくなるのは、悲しい。
仕方なしにまた次の日からレッスンを続けた。

中学3年のピアノの発表会は、部活の試合に負けて丸坊主にされた直後だった。
女子に混じって、男は私ただひとり。
水色のパンタロンに白いシャツ、なぜか襟元には母親のスカーフ。
で、丸坊主。
私の顔で丸坊主は、かなり悲惨だ。
決していまどきのEXILE系おしゃれ坊主ではなく、
どちらかというと犯罪者の指名手配系。いや七福神系か。
今でもその写真をみたひとは、瞬時に爆笑する。
あの写真より面白いCMを私はまだ作れていない。

結局ピアノは高校2年の秋まで習った。
バイエルから始まってソナチネ、ブルグミュラー、ハノン、
バッハインベンション。
ピアノをしていたことで、なにかトクをした記憶はない。
特別いまのしごとに役立っているとも思わない。

高校を卒業して親元を離れてから、
そのピアノは神戸の実家に置きっぱなしだ。
調律もしていない。
この前ひさしぶりに弾いたら、ミの音が出なかった。

おととし父が亡くなって母ひとりになったので、
今年その実家を売却することになった。
相手は私と同じ歳のフランス人のパティシエさん。
ミの音がでないピアノは、修理してそのまま娘さんに引き継がれるらしい。
まだ1歳のかわいい女の子。
名前はココ・フローラちゃん。
自分が子供の頃から使っていたピアノがまさかフランスの女の子に引き継がれるなんて、思ってもみなかった。自分までおしゃれになった気分だ。

小2の頃、練習がイヤになってピアノにおしっこをかけたことは、
もちろんそのフランス人家族には、話をしていない。

とか最後に言いたいところだが、
そんなネタになるようなことを私はしなかった。
しておけば、よかった。
残念。終わり。

NO
年月日
名前
5805 2024.11.22 中川英明 エキセントリック師匠
5804 2024.11.21 中川英明 いいんですか、やなせ先生
5803 2024.11.20 中川英明 わたしのオムツを替えないで
5802 2024.11.19 中川英明 ドンセンパンチの破壊力
5801 2024.11.18 中川英明 育児フォリ・ア・ドゥ
  • 年  月から   年  月まで