飛んでいった男
この世でいちばん愛していた男が、死んでしまいました。
自宅のベランダからの飛び降り自殺。
時刻は夕暮れどき。
ちょうどその頃、仕事場でうたた寝をしていた私は、
なにかの拍子でくちびるを噛んでしまい、
その痛みで目を覚ましました。
それは間違いなく、男が「飛んだ」という
シグナルだったと思います。
福山雅治似の、ちょっと甘い顔立ちの男はそういえば、
飛ぶのが好きでした。
逗子へ遊びにいったときも、
岩場から海へ躊躇なく飛び込んだし、
ゴルフ場でも打球を追いかけて、
芝生の斜面を飛ぶように走っていました。
考えるより、からだが先に動いてしまう。
そんな性格だったのです。
男は心臓を患っていました。
発作のたび、それこそ死ぬほど苦しむのです。
ニトログリセリンを飲ませながら、
ああ、今度こそ死んでしまうと思ったことは
数知れません。
そしてとうとう、よく晴れた秋の夕方、
茜色に染まり始めた空の彼方へ、
男は飛び立ってしまいました。
病を苦にしての自殺。
彼も楽になりたかったんだよ。
人はそう言いました。
でも、私はそう思いません。
その日の夕暮れ。ベランダに出た男は、
気持ちよさそうに飛びまわる鳥たちを
目にしたのだと思います。
そして、自分もあんな風に飛んでみたいと、
あと先考えずに身を乗り出してしまったのだと。
男はきっと、うれしそうに笑みを浮かべながら
飛んだことでしょう。
男の名は、トマト。
毛が雪のように白くふわふわしたトイ・プードルでした。
いまから4年前のことです。
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以上、李和淑のコラムウィークでした。
バトンを渡すお相手は、
コピーライターになったときから
ずっと憧れ、尊敬しつづけている吉田早苗さんです。
早苗さん、あっつい日が続きますが、
どうぞよろしくお願いいたします。