ブランコとカタツムリ
吉田早苗さんから優しく手を包むようにバトンを渡された
山本尚子です。受け取ったので走りますが、
誰?っと思われてそうなので、自己紹介を。
1987年に新人賞をいただいた「これからも生きて行くので、
私は保険に入ります。」と、1989年に掲載された「私だけ、
美人だったら、いいのに。」の2本が
「日本のコピーベスト500:宣伝会議」に選出されています。
本屋で立ち読みしていて知りました…。
ちょうど夏休みを実家で過ごし、母から昔話をたんまり
聞かされて戻ってきた所なので、幼少期の話しから始めたいと思います。
実家は札幌ですが、生後4ヶ月〜5才まで父の仕事の都合で
(北海道赤平市の炭坑病院から東京上野の永寿総合病院へ)
埼玉で育ちました。ある日、「おばちゃん!おばちゃん!」と
玄関から母を呼ぶ子供の声がして、母が「どうしたの?」と尋ねると
「なおこちゃんが雨が降ってきたのに一人でブランコに乗ってる」
「帰ろうって誘ってあげて」「誘ったけどブランコに乗ってる」
「じゃあ、いいわ。心配してくれてありがとう」って、迎えに
行かなかった母も母ですが、可愛いエピソードだと思いませんか?
そうでもないですか?きっと楽しい時間を雨なんかに邪魔されたく
なかったんだろうな〜雨にも負けない強い子だったんだろうな〜と
想像しますが、ただのアホな子だったんじゃ…説も否定しません。
そっちが正しいような気もしますし。
もうひとつ、これは来客があった時に父がウケを狙ってしていた
話しなのですが、私が何処からかカタツムリを大量に集めてきて
体中に這わせていたと言うのです。恥ずかしいので「そんなの
嘘よ」とはぐらかしていたけれど、うっすらと記憶があるので
真実です…。幼稚園生の頃から感覚を研ぎ澄まして快楽の探求
をしていたのでしょうか。恐ろしくファンキーな子供です。
「今、やってみろ!」と言われても、もう無理です。出来ません。
だって、気持ちわるいじゃないですかー
そんな、家で絵本や童話を読み耽ることなど一切なく
母が探しに来る夕暮れまで、野原や空き地を泥だらけになって
駆け回っていた私が、なぜコピーライターになれたのかも謎ですが、
今年でコピーライター歴30年になることに驚きを隠せない
2013年の夏の終わりです。
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