リレーコラムについて

長新太 ふたたび

宮井政明

先週、長新太さんの絵本の展覧会へ行ってきたため、
今ふたたび長さん熱が沸騰しています。

私が初めて長さんの絵本と出会ったのは、
既に亡くなられてからのこと。
2007年に百貨店で開催された回顧展でした。
会場いっぱいに埋め尽くされた、
ジリジリとした線で描かれた漫画やカラフルな絵本原画の数々。
「初めて観たけど、自分の好みの絵だわぁ」と思った反面、
ほとんどの絵本にオチがなく、
「こんなに投げっぱなしでいいのか?オチがないのはイカン!」
という気持ちが勝り、会場を後にしたのを覚えています。

ただ、なぜか『ちへいせんのみえるところ』という
絵本の存在が忘れられず(この平仮名一直線のタイトルそのものがすでに地平線のよう)、
本屋へ行くたびに開いては棚に戻す日々を繰り返していました。
この絵本は、地平線の見えるだだっ広い
ススキ野原?らしき場所から、
「でました。」
という言葉とともに少年の顔や船、エイ、池などが次々と
ページを繰るごとに出てくる、ただそれだけのお話です。
結局、この絵本の購入をきっかけに、
長さんの絵本を片っ端から買っていくことになりました。

どうもこの脈略のなさが好きみたいなのです。
でも、まったく脈略がないから何を持ってきても
いいというわけではなく、長さんはわたし好みの
脈略のなさをポンポンと提示してくれるのです。

また『ねむる』という絵本には、
こんな一文があります。

「ぼくは いろいろなものは、
みんな いきている とおもう。
だから ねむることもある。」

こういうアニミズム的な感覚は、
日本人にはよくあると思います。
特に子供の頃に顕著なのではないでしょうか?

私も幼い頃、母親に質問したことがあります。
「おふろのせっけんは、だれもいないときに
しゃべってるの?シャンプーはどう?」

そして忍び足で、電気のついていない風呂場まで
覗きに行った経験があります。

長さんの絵本は、
意味や理屈を遥か彼方に置き去りにして、
原始的な感覚を呼び覚ますツボを
グサリと突いてくれるのです。

それが気持ちいい。

長さん、これからもよろしくお願いします!

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