ラジオおたく
コラム3回目 「ラジオおたく」です。
はじめてラジオを聴くようになったのは、
1999年、中学2年生の夏。
母に「スカパー、うちでも見られるようにしようよ。」とお願いしたら、
「これでも聴いとき。」と渡されたのが写真のラジカセでした。
はじめは不満を持ちつつも虜になるのは一瞬で、
わたしは朝から夜中まで時間が許す限りラジオを聴きました。
何にそんなに夢中になったかというとFMから流れる音楽。
それまで小室ファミリーしか知らなかったわたしは、
はじめてブルーハーツの「ひとにやさしく」を聴いたとき
本当に腰をぬかしました。
毎日聴いても聴いても、すばらしい曲たちがこれでもかと溢れ出すラジオ。
DJの曲紹介に耳をそばだて、アーティスト名と曲のタイトルを付箋に書いて
ラジカセにどんどん貼っていきます。
毎日増えるお気に入りの曲たち。わたしは悦に入っていました。
そしてこう思いました。
思春期の女子特有のややこしさに気を使いながら、同級生と遊ぶくらいなら、
わたしの友だちはラジオだけでいい!
ということで、休みの日も部屋にこもり、ひたすらラジオを聴きました。
さぞかし親は心配したでしょう。
そしてそのうち、聴くだけでは飽き足らず、なんと自分でラジオ番組を
つくるようになりました。と言っても、カセットに声を吹き込むだけ。
「ここ富田林をキーステーションにお送りします。しょうらくじさきのミュージックタイム。」
自分でつくった番組は、自分でコソコソ聴くだけ。
そしてニヤニヤ。
将来の夢はもちろんラジオのDJでした。
この声で。この喋り方で。
ちなみにその当時のラジカセは、今も現役で活躍しています。
ラジオCMのお仕事のとき、
自分で書いた原稿を声に出して読んで録音して検証するのです。
当時とやっていることは変わりません。
ただ、そのあとうまくいけば、プロの手で磨き上げられ、
最終的にはラジオの電波にのる。もうそれはそれは夢のような話。
中学生のわたしに自慢したら、
ブルーハーツを初めて聴いたときくらい腰を抜かすと思います。
【告知】
新人同期、大広名古屋の戸谷さんに声をかけてもらい
変わったことに挑戦しました。
今年の年鑑の最後らへんのページにご注目ください。
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