「ボクは勉強ができない」を好きというひとはなぜ勉強ができそうなひとばかりなのか。「桐島、部活やめるってよ」を好きというひとはなぜかつてクラスの上位グループに属してたであろうひとばかりなのか。
そして、「リア充」という言葉を使うのはなぜ「リア充」ばかりなのか。
もともとは「非リア」がリアルが充実しているひとを妬み嫉み生まれた言葉。
しかし、もはや現実世界ではそのような使われ方をすることは少なくなった。
今では「リア充」たちが自分の「リア充」行為に対するエクスキューズとして使うことのほうが圧倒的に多くなった。
・多摩川でBBQ!リア充っぷりをアピールです。
・今日はライジングサン。年に一度のオレのリア充行為ww
私にはこれが全くわからない。
・多摩川でBBQ!チョー楽しい。
・今日はライジングサン。ビールがうまい。
これでいいじゃないか。なぜ自分のリア充行為を恥じなければいけないのか。
少なくとも、私が学生のころ(ほんの十年ほど前)は、こういうマインドはなかった。
非リア(教室下位グループ)がリア充に対して、
「TKの音楽って底が浅いぜ」「セカチューで泣けるなんてバカだなぁ」
「なんで文化祭なんてくだらないもので感動できるんだろう」
といって心の中でバカにすることで自分のギリギリのプライドを保つ。
こういうことは昔からあった。
しかし、リア充(教室上位グループ)が自分のリア充っぷりに対して恥じたり照れたりするなんてのは見たことはなかった。
なんでこんなことになったのか?
この疑問は意外とあっさりと解決する。
これは社会学者の濱野智史さんが言っていたことなのだがなんと今の中高校生の2人に1人はオタクだという。
すなわち、教室上位グループに所属している人間ですらオタクなのである。
かつてTKを聞いてセカチューで涙を流していた層が、今ではボカロを聞いてまどかマギカで涙を流している。(すみません、今のオタク事情がわからず固有名詞部分は適当です。)
リア充=非オタク・DQN、非リア=オタク・インテリメガネという図式はいまや完全に崩壊した。
今のリア充はオタク的マインドを持っている。
その結果、現在のリア充は、
いわゆるプロトタイプのリア充行為を臆面なく語ることを恥じるようになったのである。
そこで気になるのは、現在の非リアである。
昔は、「くだらない音楽きいてくだらない恋愛してくだらない子供産んでくだらない人生だぜ」とくだをまいていれば良かったのだが、敵であるリア充がこっち(=オタク)に降りてきてしまった。
こうなってくると、
・顔
・頭脳
・家柄
・コミュニケーション能力
など人間そもそもが持ち合わせている能力で真っ向勝負しなくてはならない。
戦いたくないからステージを変えていたのに。
サブカルチャーがカルチャーになった今、
かつてサブカルを拠り所としてたひとびとはどこへ行けばいいのか。
だからこそ今。
ぶっとい「メーンカルチャー」をつくりたいと思う。
もう、「メーンカルチャー」が生まれることはない、という人もいるけれど。
メーンカルチャーがあるからこそ、カウンターパートであるサブカルチャ―が成立する。
「オリンピック決定の瞬間」があるからこそ、
裏で洗剤とモップの通販番組をやってるテレ東が光る。
リメンバー、アイドルオタクが眉をひそめられていた時代。
フォーエバー、アニメオタクが犯罪者予備軍だと思われていた時代。
非リアの安住の地を生み出すために、リア充を格納するど真ん中を生み出す。
「90年代ってTK時代だったよね」
みたいに、後から今をふりかえって
「○○時代」って言えるドカーンを。
しかし、濱野さんは「若いひとでオタクが増えてきてめっちゃうれしい!」ってニコニコしてたな。嫌じゃないのかなぁ。絶対、中高生のころ非リア組だったと思うんだけど(決めつけ)
5日間私のつたないコラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。
来週の執筆者は電通のコピーライター、外崎郁美さんです。
外崎さんはTCC同期で
年齢的にも同級生なのですが、私が大学に通算8年間通っていたせいで
年次的にはだいぶ先輩です。
それではよろしくお願いします。
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