言葉は君の味方かい? その2
「今までの人生で、どれだけいいものを見て、
どれだけいいものを聴いて、どれだけいいもの と接してきたか。
今までの人生で、どれだけ自分のアタマで考え、
どれだけ自分のコトバで話してきたか。
今までの人生で、受けてきた愛情の質と量の総体。
というような意味内容を『育ち』と謹んで呼びたい。」
これは古川裕也さんの言葉。
(参照元 http://www.advertimes.com/20140203/article145479/)
たくさんのいいものを吸収してきた人間でも、
自分のコトバで話してないやつは頭でっかちの評論家になる。
自分のコトバで話していても、いいものと接してきていない人は
自分がいちばんおもしろいと思っているお笑い芸人のようになる。
何度もコピーライター志望の学生や
駆け出しのコピーライターと会ったときに感じていた
もやもやを古川さんがとても上手に言語化してくれた。
ある人がコピーライター、さらには
ものづくりに向いているかどうかは「育ち」によるのである。
この「育ち」は「センス」ともいいかえることができると思う。
言葉遣いが多少まずかったり、対人関係が下手でも問題ない。
そういったものは慣れが解決する。
ただ、育ちだけはどうしようもない。
育ちは話せばすぐわかる。
ポロッと彼がこぼす言葉や、ある現象の感じ方から。
で、これはぼくのような若いとは胸をはって言い切れなくなってきた
コピーライターにも言えるわけであって、
コピーライターになる前は、たくさんのいいものと接してきたけれども、
なってからは、忙しさにかまけていいものと接することを怠っていると、
つまらない人間になってくるわけである。
逆に、はじめはそうでもなかったが、いいものと接する努力によって
それが伸びる場合もある。つまり、センスは自分で伸ばすことができる。
では、「どれだけいいもの」とはどれぐらいよければいいのか?
それについて手塚治虫の言葉を紹介しよう。
「漫画家になりたいのなら、漫画を見るな。
一流の映画を見なさい。一流の音楽を聴きなさい。
一流の芝居を見なさい。一流の本を読みなさい。
そうして、自分の世界をつくりなさい。
漫画から漫画をつくってはいけません」
これは売れない時期の赤塚不二夫が手塚治虫に相談したときに
言われたことば。赤塚不二夫はこれを死ぬまで心に留めていたそうだ。
漫画を広告に置き換えたら、同じことが言えないだろうか。
広告から広告をつくってはいけない。それは、もう新しくはないのだから。
だから、ぼくはもうコピー年鑑をあまり見ないようになった。
カンヌもそんなに。ついつい、真似したくなってしまうし。
というわけでぼくはなるべく広告以外の一流を見聞きするようにしている。
では、一流とは何か。
手塚治虫にとっての一流は
「ボクの長編の基本は『罪と罰』なんです」
と公言するほどに、ドストエフスキーであった。
一流とは、時代の風雪に耐えてきたもの、とぼくは定義している。
数十年、中には、数百年たっても人間の心を打つもの。
ぼくの中での特に一流は、ドストエフキー、プルーストなど古典文学の作品。
ノーベル文学賞の作家の作品、そして『火の鳥』。
(特に『カラマーゾフの兄弟』は人間が一人で作りうるものとして
究極のものであると考えている。
これ以外の作品はすべてこの前に霞んでしまうほどに。)
では、一流に対してどう向かいあえばいいのだろうか。
「すべての真面目な読書は『読みなおすこと』だ。
これは必ずしも二度目に読むことではない。
構造の全体を視野にいれて読むことだ。
言葉の迷路をさまようことを、
方向を持った探求に転じるのだ。」 大江健三郎
読了後、そのまま再読することもしばしば。
さすがにすべて読み直すことはできないのだけれども、
いつも作品に対して誠実であろうと以下のプロセスをしている。
・気に入ったところに、付箋をする。
・それをMacに打ち込む。
・感想をAmazonのレビューで書く。
映画は以下のプロセス。
・気に入ったセリフを Wordに打ち込む。
・気に入ったシーンを映像から脚本に書き起こす。
・感想を書く。
するとどうだろう、めきめきと上質な言葉が自分の血と肉となっていた。
毎日書く文章に、大作家たちのエッセンスが
ほんの少しだけど入っていくような。
つまり、言葉が味方になってくれたのである。
隙ある風景 http://keitata.blogspot.jp
ROADSIDERS’ weekly http://www.roadsiders.com
KEITATA PHOTO http://www.keitata.com/keitata/
参考1)
自分のためにとこつこつレビューを書いていると
Amazonのレビュワーランキングが現在4000位ほどとずいぶん上まできた。
海外小説ばかりだけども。ご覧いただき、
そして「参考になった」を押してくれるとありがたく。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A353K2Q2F8WIWD/ref=ya__32?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview
参考2)
最近読んだドストエフスキーの『悪霊』のレビューと
Macに打ち込んだ名文を添付する。
だれが読むかはわからないけど。
自身の気違いじみた小説愛をわかっていただけたら。
『悪霊』 ドストエフスキー 2013.12/3- 2014.1/28
レビュー 「神への辿り着き方」
長かったり、まどろっこしかったりするんだけど、やっぱりすごい!
小説の持つ圧倒的な力にドーンと打ちのめされる。
農奴解放で混沌としたロシアに起きた革命騒動を題材に、
この小説は神という山頂にどう辿り着くかが描かれている。
湖に落ちてしまう者、最後まで道がわからなかった者、
神が見えたにも関わらず怯えて引き返してしまった者、
最後に神に辿り着く者、
その神への辿り着くまでの苦悩が
ドストエフスキーの人生そのもののように思える。
『カラマーゾフの兄弟』でも感じたのだが、
ドストエフスキーは「対話」がえぐい。
キリスト者と無神論者の激論、聖者とニヒリストの論争。
マルクスとアウグスティヌスが夜中に自分の部屋でツバを飛ばして
議論を交してるような感じなのである。
どっちが正しいとかではなく、どっちも考えに考え抜かれている。
社会学者が数十年間研究に研究を重ねて行き着いた結論と、
修行僧が苦行の果てに悟ったもの、
それを1人の人間が同居させ、対話させ、書き上げている。
そして、それぞれの生の輝きが眩しいこと!
ドストエフスキーはやっぱりすごい。
1番好きな作家かといわれると考えてしまうが、
1番すごい作家であるとぼくは思っている。
もう1つ、書いておきたいのが、
ドストエフスキーは予言的小説を書くということ。
『カラマ-ゾフの兄弟』もそうだったのだけれども、
まるで「ロシア革命」という未来を予知していたかのような小説を書いている。
社会のさほど大きくもない事件から未来を嗅ぎ取る力、
この嗅覚の鋭さがこの作家の偉大なる所以の1つであると思う。
と書くと、日本で予言小説を書くのは誰だろうかと考えてしまう。誰だっけ?
最後におすすめの読み方を。
一度通して読んだが、自身が読み急ぎすぎたのと、
登場人物が多くしかも特殊なので、なかなか頭に入ってこなかった。
というわけで、読了後そのまま再読し、結局ぐるっと1周半読むことになった。
二度目を読むと、いかに周到に伏線を張っていたかが理解できたし、
特殊な登場人物にさえも感情移入ができた。
というわけでできれば再読をおすすめしたいが、
そんな時間はない人がほとんどだろうから、
ゆっくりとその都度内容を理解して読むことをおすすめする。
文章)
だいたい、何ごとでも引き起こしかねないのが習慣の力である。 15
自分の最大の願いはいち早く知恵を失うことだ 21
25 へりくだるドストエフスキー
確かにワルワーラ夫人は美人というのと多少趣を異にしていた 38
進歩的文化人は若づくりを嫌い、粋に年寄り風を吹かせたがる。 42
文人たちはまるでそうすることが義務であるかのようにどこまでも開けっぴろげだった。 49
自分がほんとうに古くから神聖なものとして崇めてきた偉大な理念を
未熟な連中に横取りされ、やつらと同じバカどものところや
道端にまで引きずり出されて、そのうちリサイクル市場のどこか
隅っこでいきなり出くわすはめになる、
これまでぼくはたんに愛しているだけだったけど、いまは尊敬している 73
完全にロシア的で、陽気でリベラルなおしゃべりが交わされていたにすぎない。「最高のリベラリズム」と「最高のリベラリスト」つまりなんらの目的ももたないリベラリストは、ロシアでのみ見られる存在である。 75
すべては怠慢から来ているんです。ロシアじゃ、すべての原因が怠慢にある。どんなにいいことも、どんなに立派なことでもね。要するに、自分たちの労働じゃ生きられない。世論を手に入れるには、何よりもまず労働が、自分自身の労働が、自分の手で事業をはじめることが、自分で実践を積むことが必要だってこっとがわからないんでしょうか?自分の意見だって、仕事をしてはじめてもてるんです。ところが、ぼくたちロシア人はぜったいに働こうとしない。だから、ぼくたちに代わって意見をもつのは、ぼくたちに代わって働いてきた連中で、つまり過去に二百年ぼくたちの教師をつとめてきたあいもかわらぬヨーロッパ、あいもかわらぬドイツ人ということになるわけです。おまけにロシアっていうのは、ドイツ人なしでは、労働なしでは、自分たちだけで解決するにはあまりに大きな謎ですからね。 83
あなたたちは民衆を見逃したばかりじゃない―、民衆に対して、それこそおぞましいぐらい侮蔑的な態度をとってきた。民衆ということばであなたたちが想像していたのは、もっぱらフランス国民だけ、それもパリジャンしか頭になく、ロシアの民衆が彼らに似ていないことが恥ずかしくてならなかったからです。 87
しばし羽目を外すことがあっても、そのことで真っ先に苦しむのは当の本人だった。 88
永遠に消えることのない神聖な憂いの最初の感覚 91
しかし、何もそこまで先回りして話をする必要はないだろう。 105
行政官冥利。だれかカスみたいな男を、どこかの駅のチケット売り場に立たせてごらんなさい。このカス男は、チケットを買いにくる客たちを、まるで全知全能のジュピター気どりで見下しはじめますから。 128
ロシア人というのは、自分たちのロシア語じゃ何一つまともなことがしゃべれない国民です。 139
連中がひかているのは、社会主義のリアリズム面ではなく、それが持っている感じやすい理想面、言ってみれば、宗教的なニュアンス、ポエティックな部分なんですね。 179
筋金入りの社会主義や共産主義者たちが、信じられないぐらいどケチで金儲け主義であるのはどうしてなんでしょう? 180
ある特殊なものの見方に走りたがる傾向 236
狂っている。ひじょうに頭がいいが、ひょっとして狂っている。 241
彼女は、あまりに厳しい要求を自身に課し、その要求を満たすだけの力を、いちどとして見出せていなかったのかもしれない。 259
どんな自由も生きていようが生きていまいがどうでもよくなったときに、はじめて得られるものなんです
。 274
生命とは痛みであり、生命は恐怖であり、人間は不幸です。いまはもう痛みと恐怖ばかりです。いま人間が生命を愛しているのは、痛みと恐怖を愛しているからです。それに、そういうふうに作られている。生命はいま、痛みや恐怖とひきかえに与えられている。いっさいの欺瞞がそこにある。いまのところ、人間はまだ人間になっていません。いずれ新しい人間が出てきます。幸福で、誇り高い人間が、です。生きていようが生きていまいがどうでも良い人間が、新しい人間ってことになる。痛みと恐怖に打ち克つことのできる人間が、みずから神になる。で、あの神は存在しなくなる。 275
みんなはある一つのことを考え、それからすぐ別のことを考える。ぼくには別のことなど考えられない。ぼくはこれまでずっと、一つのことだけを考えてきました。ぼくはこれまでずっと神に苦しめられてきた。 277
君は今、別の傷口に触れてくれましたよ、友情に満ちた指でね。 288
あの(若い社会主義者)の連中は、自然とか人間社会を、神が創造したものや、現にそこにあるものと、ちがったもののように考えているのです。 293
全世界を征服せんと欲すれば、わが身を征服せよ 295
結婚っていうのは、あらゆる誇り固い精神、すべての独立心にとって、精神的な死を意味するんです。結婚生活はぼくを堕落させ、事業にささげるエネルギーや勇気を奪い取る 296
あんたってきっと頭のいい人なんだろうけど、いつも退屈しているのね。 345
神さまと自然はぜんぶでひとつです。って言ってみたの。そしたら、みんなゲラゲラ笑うじゃない 350
夕陽って気持ちいいけど、悲しいよね。 452
清潔なワイシャツを着るとかえって不作法な感じのする人間がいる 410
こういう男(レヴャ―トギン)は、自分とは毛色の違った席に出ると、はじめはおどおどしているが、相手が少しでも下手に出ようものなら、たちまち傲岸不遜な態度に出る。 421
この「どうして?」ってやつ、ちっぽけな言葉のくせして、天地創造以来、全宇宙に充満しておる言葉で、奥様、自然全体がひっきりなしに創造主に向って叫んでおるわけです、『どうして?』とね。 423
プライドが高くて、早くから傷ついて、『冷笑』にいきついてしまった人間。「冷笑の悪魔」 455
飽くことなきコントラストへの願望 457
人間が生きにくければ生きにくいほど、国民全体が虐げられれば虐げられるほど、貧しければ貧しいほど,
より執拗に天国でのご褒美を夢見るようになる。おまけに十万の聖人たちが、あくせく立ち回りながらその夢を焚き付け、その夢をネタに荒稼ぎする。宗教ってそういうもんでしょ。 458
まぎれもなく疑いようのない悲しみというのは、たとえごくわずかな短いあいだとはいえ、まれにみるほど軽はずみな人間をも、毅然として意志の固い人間に変えることがあるものなのだ。 487
彼は自分に対して常に完全な支配力を保つことができた。 491
デカプリストのLは、死ぬまでにわざと危険を求め、その感覚に酔いしれ、それを己の本性に欠かせない欲求にしてしまった。若い頃は特別の理由もなく決闘に赴き、シベリアではナイフ1本でクマに立ち向かい、シベリアの森で脱走囚と出くわすのを好んだ。ついでに断っておくと、脱走囚というのはクマよりも恐ろしい連中である。—-自分の内なる臆病さに打ち克つこと、それこそが彼らを惹きつけてやまないものの正体だった。 492
2
かつて邪道に踏み込んだことがあるがなかなか見応えのある青年 20
ほんとうの真実っていうのは、つねにどこか嘘っぽいtころがあるもんなんですよ。真実を真実らしく見せるには、真実にぜひとも嘘をまぜてやる必要があるんです。 27
屈辱的といっていいぐらい、ぼくたちロシア人が無力で、まともに思想を生み出せていない。ほかのいろんな国民にたかって暮らしてきたぼくたちの、じつにみっともない奇声癖なんですよ。 28
黙っているっていうのはなかなかの才能 39
「行政組織を賛美するわけ?」
「ええ、もちろんですとも!このロシアで唯一、自然に完成されたものですから」 54
ある瞬間があって、その瞬間にいきつくと、とつぜん時が歩みを止めて、永遠が生まれるのです。 79
人間が不幸なのは、自分が幸福だってことを知らないからです。 82
人間ってほんとによくない、だって自分たちがすばらしいことがわかってないんですから。 83
すべての人間はすばらしいってことを教えてくれる人、その人が、世界を完成させるんです 84
無神論者はロシア人ではありえない、無神論者はただちにロシア人ではなくなる。 111
ローマ・カトリックは全世界にむかって、キリストも地上の王国なしにこの地上にはとどまることはできないと宣言することで、反キリストを唱道し、それでもって西欧世界全体を破滅させてしまった。もしもフランスが苦しんでいるとすれば、それはとりもなおさず、ローマ・カトリックの罪である、なぜなら、フランスは悪臭ぷんぷんたるローマの神を否定しながら、新しい神を探し求めなかったからだ。 112
つまり、原初の楽園のようなものですが、といても労働することに変わりはありません。人類の十分の九から意志をうばい、何世代にもわたる再教育によって家畜の群れに作りかえる。これは自然科学のデータに基づく、極めて論理的な手段です。 476
社会の構成員個人個人が、たがいに相手を監視しあって、密告する義務を負う。個人は全体に属し、全体は個人に属する。全員が奴隷で、奴隷という点で平等である。極端な場合には、中傷、殺人も許される。でも、大事なのは平等。まず手始めに、教育、科学、才能などのレベルが引きさげられる。 510
奴隷は平等じゃなくちゃならない。家畜の群れには平等がなくちゃならない。 510
ロシアの神は安酒の前で尻込みをしている。民衆は酔っぱらっている、母親も酔っぱらっている、子どもたちも酔っぱらっていて、教会はもぬけの殻。 517
完全な無神論者は完全な信仰にいたる一歩手前の階段に立っている。 543
ラオキディアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。<わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くもなく冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『私は金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要なものはない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることがわかっていない・・・>』 545
処女を失うことは、神様を殺すこと 566
私は気が変になるくらい、生きることにひどく退屈していた。 573
ギリシアの島、穏やかなコバルトブルーの波、島々、巨岩、花咲く岸辺、魅惑的な遠いパノラマ、呼びまねくような夕陽ー言葉ではとても言いつくせない。ヨーロッパの人間がここをわが揺籃の地と記憶し、神話の最初の舞台となり、地上の楽園となったところなのだ。ここにはすばらしい人々が住んでいた!彼らは、幸福に、汚れも知らず、朝目覚めては、夜眠りについた。木々は彼らの朗らかな歌に満たされ、溢れかえる大いなる力が、愛と素朴な喜びに変わった。太陽は、おのれのすばらしい子どもたちを楽しげに眺めながら、これらの島々や海にさんさんと光を注ぐ。ああ、なんという不思議な夢、気高い迷い!かつてあったすべての夢のうちでも、もっとも信じがたい夢。だが、全人類はそのためにこそ、みずからの全生活を、みずからのすべての力を捧げてきたのであり、そのためにすべてを犠牲にし、そのためにこそ十字架で死に、おのれの予言者たちを殺してきたのだ。それなくして人類は生きることも欲しなかったろうし、死ぬことすらできなかっただろう。 577
憎悪したほうが憐れみをかけられるよりも気が休まる。 589
「ぼくは自分で自分を許したいんです。これが最大の目的、目的のすべてです。」
「もしも、自分で自分を許すことができ、自分への許しを現世で得ることができると信じておられるなら、あなたはもう、すべてを信じておられることになります!」 597
『これら小さな者のひとりをつまずかせる者』これ以上の犯罪は福音書では存在しない。597
世の中どこでも常識よりも修道僧が多い。 674
思想は偉大です。でもそれを伝道する人間たちが偉人たちとは限らない。 681
3
「進歩的」な連中は、つねに人に先んじようと心がけている。そうすることが主な関心事である。 13
やくざものは過渡の時代になると必ずや顔を出しはじめる。目的などなに一つもたないばかりか、ひとかけらの思想も持ち合わせていないくせに、全身をなげうって不安や焦りをひたすら述べ立てようとする。しかしこうした連中はいつの場合にも、自分でも気づかないうちに、ひとにぎりの進歩的な連中の配下に収まってしまう。 13
わたしたちの町のすこぶる賢明な人たちが、あのときなぜ、ああしたとんでもないしくじりをやらかしたのか、と今さらながらに首をかしげる始末である。 14
愚かさというのは、最高の天才と同じぐらい、人類の運命にとって有用なものです。 66
正義の人が七人いないと町はたちゆかない。 117
ぜんぶ放火だ!こいつはニヒリズムなんだ!燃えているものがあれば、そいつはニヒリズムだ! 139
「リーザ!昨日、いたいどういうことがあったんだろう?」
「あったことがあっただけ」
私は世間知らずの娘で、私の心はオペラによって育てられたんです。 156
この世界に別れを告げて、完全に自由になるには許してやらなくてはならないんです、許してやらなくては。 196
あなたが観念を食い尽くしたのじゃなく、観念があなたを食い尽くした。 246
あなたは何かを宣伝せずにはいられない人でしょう。 299
だれもかれも罪があって、だれもかれも悪い・・・そういうことにみんなが気づけば 310
ムハンマドの水差しの話を思い出してご覧よ、水差しの水が流れでないうちに、馬に乗って天国をひと回りしてきたっていう話さ。あれも、同じ5秒間じゃないか、きみのいう永久調和と似すぎているぐらいだけど、そのムハンマドには癲癇があった。気をつけるんだね、キリーロフ。 328
今まで二人しかいなかったのに、いきなり第三の人間が、新しい魂が、人間の手ではけっして生み出せない、完全な、完成した人間が出てくるんだ。新しい思想、新しい愛、ほんとうに恐いくらいだ・・・この地上にこれ以上崇高なものなんてないんですから! 332
だが私はおそろしく先回りしてしまったようである。 371
誰もみな同じで、いいも悪いもない。あるのは、賢いか愚かかだ。 382
(神というのが)居心地のよさってことでもいい。神は必要だ。だから存在しなくてはならない。 385
全世界の歴史でこのぼくだけが、はじめて神をでちあげようとしなかった。人間がやってきたことといえば、せいぜい自分を殺さずに生きていけるよう神をでっちあげたことぐらいだ。これまでの歴史なんてたんにそれだけのものだ。 390
みんなが不幸なのは、我意を主張するのを怖れているからだ。人間がこれまでこれほど不幸で貧しかったのは、我意の最高のポイントを主張することを怖れ、小学生みたいに隅っこで我意をふるっていただけだからだ。 394
彼は切符を買う為に自分の行き先を知っている必要があった。しかるに、自分の行き先を知るということこそが、彼のもっとも大きな悩みの種であった。 422
ああ、許してあげましょう、許してあげましょう、まずはじめに、どんなときもみんなも許してやりましょう。ぼくたちも許してあげることを期待しましょう。そう、だってだれもが、お互いにたいして罪があるのですから。 453
いちばん困難なのは、嘘をつかずに生きるということ。・・・それに・・・自分自身の嘘を信じないこと。 472
至高の神に対する信仰こそが、人生のありとあらゆる悲しみや試練における、人類のたったひとつの避難所なのです。 496
ぼくにとって不死が欠かせなくなったのは、神が不正を行うことを望まず、ぼくの心のなかにひとたび燃え上がった神にたいする愛の火を、すっかり消し去ることを望んでおられないからなのです。愛より尊いものって何でしょう?愛は存在よりも気高く、愛は存在の極致であり、存在が愛に屈さないなんてことがどうしてありうるでしょうか?もしもぼくが神を愛し、その愛に喜びを感じているとすれば―神がぼくの存在も、ぼくの喜びも消し去って、ぼくたちをゼロに変えてしまうなんてことがありうるでしょうか。もし神が存在するなら、このぼくも不死なのです!これがぼくの信仰告白です 497
ああ、ほんとうにもう一度生きたい!人生の一分一分、一刻一刻が、人間にとって至福の時じゃなくちゃならない・・・・そうでなくちゃ、ぜひともそうでなくちゃ!そうすることが、当の人間にとっての義務なんです。これは、人間の掟なんです。隠された掟、でも、必然的に存在する掟、ああ、ペトルーシャに会いたい、シャートフにも! 499
このぼくよりも、はかりしれず公正で、幸せな何かが存在しているとたえず考えつづけるだけで、このぼくのからだ全体はもう、かぎりない感動と、それに栄光で満たされるんです。ああ、このぼくが何者であっても、何をしでかしても!人間にとっては、自分自身の幸せよりも、この世界のどこかに、万人のために、万物のためにすでに完成された穏やかな幸せが存在することを知って、刻一刻それを信じることのほうが、はるかに大切なんです。人間存在のすべての掟というのは、人間が常にはかりしれず偉大なものの前でひれ伏すことができる、という一点にあるのです。人間から、このはかりしれず偉大なものを奪い去ってしまえば、彼らはもう生きることをやめ、絶望にくれたまま死んでしまうでしょう。はかりしれずかぎりないものは、人間にとって、彼らがいま生息するこの小さな惑星と同じように不可欠なものなのです。みなさん、みんな、みんな、偉大な思想、バンザイ!永遠の
はかりしれない思想、バンザイ!人間はだれもすべて、偉大な思想を体現するものの前でひれ伏すことが必要なのです。どんな愚かな人間にも、何からしら偉大なものが不可欠です。どんな人間にもひとしく永遠で偉大な思想が宿っているのです! 500
ぼくの欲望は、あまりに弱々しく、導くことができません。丸太なら川を渡ることができますが、木片では渡れません。 523
おのれの大地とのつながりを失うものは、自分の神も、つまり自分のすべての目的を失う。 524
このぼくから流れ出てかたちをなしたものは、否定のみ。どんな寛大さも力もありません。否定さえ、形をなしませんでした。何もかもが、いつも底が浅くて、うちしおれている。ぼくは決して理性を失うことができなかった。そして、決して観念を信じることもできなった。 524
誰も責めてはならない、ぼく自身だ。 529
あとがき 1
わたしは単に事件を借りるだけです。あんなふうな醜い事件は文学に値しないkらです 503
スタヴローギンはロシア的であり、かつ、ひとつの典型的な人物なのです。 503
わたしは脅かされたネズミみたいにはらはらしているのです 503
ドストエフスキーが気になっていたもの、農奴解放後のロシア社会全体のほころび、無気力化する貴族階級、プチブル化する中産階級、野坊主に荒れ狂う下層階級 505
ワルワーラ夫人の貴族の自己保存本能 510
2
みずからの国民と国民性をうしなうものは、祖国の信仰と神をも失うことになる。これが、私の小説の主題に他ならない。それは『悪霊』というタイトルをもち、それらの悪霊がいかにしてブタの群れのなかに入っていった化という物語なのです 694
ピョートルという理性が生み出す悪意 701
フーリエの社会主義
何よりも国家の支配を受けず、土地や生産手段を共有のものとしながら、数百の家族からなる1700人程度(理想は1620人)の人々が共同生活を営む。人間社会に悪や不協和音をもたらすのは、人間同士の自由な愛を妨げて情念を抑圧する社会の仕組みそのものである。肉体も欲望も喜怒哀楽もいっさい抑制することをしない。抑制どころか、「合理的計算」によってそれらを統御し、計量化し、調整していくことが理想社会の誕生につながる最善の方法。多重婚、近親愛にいたるありとあらゆる性愛が肯定され、合理化された。 716
去勢派は地上の肉欲を退けるかわりに、宝石や金品を崇拝して蓄財に励む者が多かった。ちなみに「去勢する」と「貯蓄する」は同じ単語である。 730
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