リレーコラムについて

私がコラムを書いてるワケ

佐藤朝子

どうも、電通関西CRの佐藤朝子です〜。

慣れ慣れしく登場してみましたが、
9割9分9厘の方は
「お前、誰やねん」
と、お思いでしょう。

そうです。私、無名です。

「なんだよ〜無名のコラムなんて読みたかねぇよダッフンダ!」
と吐き捨てた若いアナタ。
サイトを閉じるのはまだ早い!
1週間読んでみたらなんと、タメになるエピソードがたっぷり・・・
出るかどうかは分かりません。
多分、そんなに出ません。すみません。
というわけで、
有益なものに仕上げる自信はさらさらありませんが、
このタイミングで書くというのは意味があるだろうと思い、
今回このコラムを担当するに至った経緯を、
綴らせて頂きたいと思います。
1週間かけて。

さて。
もちろんコラムを書くにはバトンを受け取らねばならないわけです。
つまり私は先週のパンク松村さんからバトンを受け取ったわけですが、
パンク松村さんが私を指名して下さった理由は、おそらく
たまたまバトンを持ってるタイミングで
とっても久しぶりにメールでやりとりをしたから、だと思います。
ちなみにパンク松村というのは私が個人的に(敬意を込めて)
呼んでいるだけで、通り名ではありません。
でも松村さんに「パンク松村ー!」って呼びかけたら
それなりの反応を返してくれると思います。たぶん。
話を戻します。
では、なぜ、パンク松村さんと私は数年ぶりにメールをやりとりしたのか。
私が今年、病児保育のノーベルというNPO法人のコピーで
TCC新人賞を頂く事ができたからです。

電通に入社し関西CRに配属されてから、今年でもう13年目。
松村さんは、私が3〜4年目になるくらいまで関西支社にいました。
一緒にお仕事をする機会はなかったのですが、
部会だか室会だかの夜、お酒を飲みながら、
私の作ったラジオCMを褒めてくださいました。
ご本人は忘れていると思いますが、
すごくうれしかったので、私はずうっと憶えています。
そういう「誰かに褒めてもらった」言葉をかき集め、
マットレスのコイルのように身体を支えてもらいながら12年間、
もうダメ・・・と腐りかけながらも、なんとかやってきたわけです。

12年間。私はいわゆる「くすぶり層」で、
(いわゆるって私が勝手にそう呼んでるだけなんですけど)
新人賞の1次審査は通過するけど受賞できない、
というのをもう何年も繰り返していました。
何も出すモノがなかった1年目と、
長女の産休育休で仕事をしなかった7年目以外、
10回応募して、6回だか7回だか、
ノミネート止まりを経験しました。
そんな私が今回ようやく受賞に至り、
速報を知ったパンク松村さんが、
おめでとう、とメールをくださったのです。
いい人です。パンク松村さん。
TCC審査委員長賞、おめでとうございます!

それで、ですよ。
そんな「くすぶり層」だった私が、
なぜ今年くすぶりから脱することができたのか。
「今までと同じ考えや行動を繰り返して異なる結果を期待するのは狂気である」
とアインシュタインに言われたから。
ではなく、それに似たひと言を、とある方に言われたからです。
誰に?パンク松村に?
いいえ。
占い師に。です。

つづく。

NO
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