ADコンプレックス
子どもが絵の道を志すのは、単純な話です。
他の教科より図工・美術の成績がちょっと良ければ、
「じゃあ絵描きになろうかしら」と思ってしまうわけです。
国語の成績が良かったところで、
「じゃあコピーライターになろうかしら」などとは思わないわけです。
私の成績は、美術が「4」。国語が「5」でした。
算数と理科が「2」であるという目くらましも手伝って、
「自分は絵が描けるのだ」「いや、絵を描くしか道は無いのだ」と
思い込んだのです。
国語ができたところで将来の何の足しにもならないと。
私は思い込みが激しいというよりボーっとしているので、
そのまま高校3年生の夏を迎えました。
そこで初めて、美大を目指すために「美術教室」に通いました。
私はデッサンが、致命的にできませんでした。
これが美術「4」の所以です。
デッサンというのはある程度訓練でできるようになるらしいのですが
コツをつかむまでにそれなりの時間がかかります。
(未だにコツはつかんでいないので聞いた話)
もう高3の夏ですから、コツをつかんでいる暇がありません。
東京藝大、多摩美、武蔵美など東京の名だたる美大は
ほんとうに絵がうまくないと入れません。
絵を描けない人と私の距離と
私と東京藝大生の距離を比べた時に、
私と東京藝大生の距離のほうが何光年も長いように思います。
そこで美術教室の先生が探しだしてきてくれたのが
私の母校「京都造形大」です。
ここもデッサンが試験課題にありましたが
石膏像とか描かなくてもいい。
古代ギリシャ人のあの嫌味なほどウェービーな髪型。
どうやって描けと言うのか。描けません。
京都造形大のデッサンは、
わら半紙の束を渡されて、それで自由に形を作って描くというもの。
美術教室の先生からは
「とにかくカンタンなものをつくれ!難しいものはつくるな!」と
言いきかされていたので、超簡単な「箱」をつくりました。
受験で隣になった人は「鶴」を折って苦労していたように思います。
形を捉えるだけで時間がかかりますからね。
そして試験課題の残るは作文と、それにまつわる絵を一枚描くだけ。
この試験科目は、電通のAD試験課題によく似ていました。
広告ポスターを3枚つくって提出。
実技ではアイデアを20個以上考えて、ポスター制作。(1998当時)
ここで、国語がコピーに活かされたわけです。
しかも学力問わず。(あくまでも当時)
京都造形大の試験と電通のAD試験は私のためにあるようなものです。
このようにしてすくすくと美大・電通ADの道を歩みました。
もちろん電通のADは、
私以外は真底絵がうまくてセンスが良く、
根っからの素晴らしいADがほとんどです。
ADもコピーもと言うと片手間感ありますが、
この「アートコンプレックス」のおかげで、
私はADからもコピーからも
逃げずにやって来れたのではないかと思います。
私の画力を示す記憶スケッチを載せておきます。
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