報道部という衝撃 ①
仕事観が変わった。
東海テレビ報道部というクライアントとの出会いは、それくらいの衝撃があった。
この3年間、一緒に向き合った5つのキャンペーンを、
毎日ひとつずつ振り返ってみたい。
初めての顔合わせは、窓越しにダンディーハウスの看板が見える
東海テレビ6階の会議室だった。
長身のK報道部長が、思いを語り出した。
「まずカメラがこうとらえて(パチン)、次に切り返してこっちから(パチン)、
で、最後に正面から(パチン)…」
指を鳴らしながらの熱いオリエン。
要約すると、民間放送局連盟賞がすごく欲しいのだが(パチン)、
制作は東海テレビがするから(パチン)、
企画だけ出してくれればいいよ(パチン)。
不安が、ひとつだけあった。
スタッフの日常業務は、ニュース取材と野球中継。
CM経験は、ない。
そこで数日後、こう提案した。
「基本ワンカット。最後に自分のコピーで仕留める」
「監督だけは、広告の世界の人にしたい」
パチン。報道部長は、男らしく指を鳴らした。
報道部の機動力は、CM業界のそれを上回る。
記者が調べ上げた取材先を、
早朝から日没まで1日に数ヵ所撮影して回り、
東海テレビに戻って明け方まで編集する。
清水監督がつないだ画を観ながら、コピーに何度も手を入れて、
再び早朝発のロケ車に乗り込む日々。
毎回恒例となる眠れない1週間を、このとき初めて体験した。
日本の食の問題を取り上げた「食卓を守れ」キャンペーンのCMは、
報道部の悲願だった2011年度民間放送連盟テレビCM部門優秀賞に選ばれた。
しかし喜んだのも束の間、夏の暑い日に、あの大事件は起きてしまう。
第一報は、妻からのメールだった。
「あなたのクライアントが、どんでもないことになってる」
セシウムさん事件だった。
賞は辞退。当然だった。
さらに翌年。追い打ちをかけるように、今度はある広告賞で別のミスが発覚する。
自分の配慮不足で起きた緊迫する事態の中、K報道部長は力強くこう言った。
「東海テレビは、キミを守る」
そのとき、部長の指は鳴らなかった。
東海テレビ「食卓を守れ」キャンペーンCM
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