報道部という衝撃 ⑤
ある日の深夜、②とは違うデニーズへ、
担当に復帰した東海テレビ報道部のH記者から呼び出された。
つぎのテーマを一緒に考えたいというので、温めていた企画を話した。
「震災から3年目の東北を、伝えつづけませんか。しかも、CM枠で」
H記者は「やりましょう!」と力強く答えてくれた。
しかし、すでに大地震から3年も経っている。
東北から遠く離れた地方局の報道部が、世に問えるものとは何か。
自分は、重大事件のたびに問題となる「取材する側のモラル」に着目。
自らの取材姿勢を自戒しながら、
報道し続ける姿をドキュメントすることにした。
身内にカメラを向ける、難しい撮影がはじまった。
スーパーニュース番宣CMと同じ手法のため、自分は撮影に同行しない。
それでもカメラの存在を忘れてくれないベテランカメラマン。
期待するような事態が起きない現場。
納得のいく画が撮れないまま、2回目の撮影が終了した。
焦りに加えて、自分は後ろめたさも感じていた。
被災後の東北を、じつは一度も見ていなかったからだ。
そこで、一人被災地を巡る取材旅行に出た。
新幹線を乗り継いで福島県いわき市に入り、
軽自動車を借りて岩手県宮古市田老を目指した。
ホテルを避けて民宿や旅館に泊まり、主人や宿泊客の声に耳を傾けた。
車中は、常に地元のFMラジオ。
初めて目の当たりにした現実に、思うようにシャッターを切れない。
ただひたすら肉眼で見る。人をつかまえて話を聞く。
それだけで精一杯だった。
被災後、引っ越しを7回もさせられた主婦、
仮設住宅を取り巻くやるせない事情を深夜まで語ってくれた自治会長。
今日も盛況だと興奮気味に語るいわき市内のパチンコ店アルバイト。
脱サラして語り部となったタクシー運転手。
被災後に自殺未遂を繰り返し、いまは夫と民宿を切り盛りする女将、
「当時は、笑うの忘れてた」と微笑む旅館の主人。
あの津波を体験しても、「海は友だちだから」と笑い飛ばす漁師。
「ここでしか食べられないものを出す」と意気込む復興商店街の料理店主。
盛り土を運ぶダンプの整理をする人懐っこい若者。
誰もがみな前向きで、いい顔をしていた。
別れ際には、必ず「また来てほしい」と言ってくれた。
「マスコミは偏っているけれど、もっと取材してほしい」とも言ってくれた。
伝えつづける。東海テレビ
自分が書いたコピーは、間違っていなかった。
それがわかっただけでも、
4泊5日868キロメートルの旅は無駄ではなかった。
東海テレビ「震災から3年~伝えつづける~」キャンペーンCM
※交通安全キャンペーンCMが見られない状態になっていました。
申し訳ありません。改めてアップし直しました。
来週のリレーコラムを担当してくれるのは、和田佳奈子さんです。
妊婦となった彼女の、いましか書けない話。
楽しみにしてください。
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