岡田周三さんの鮓
この仕事に就く前、
まだ学生の頃、
怪しげなバイトで泡銭が手に入ると
決まって行っていたのが
小笹寿し。
山口瞳さんのエッセイでも有名な
岡田周三さんのお店です。
地元の小田原にも、
いいお寿司屋さんがあるのですが、
それとはまた違う、
いわゆる東京の本格江戸前寿司です。
タイトルにあるように、
寿司でもなく、鮨でもなく、
鮓と書かれたのれんをくぐると、
ピンと張りつめた空気。
奥にお弟子さんの西川さん、
そして入り口に近い手前には、
20世紀を代表する名人、岡田周三さんがいます。
僕は酒を飲まないので、
座ればすぐにお茶で握りです。
このお店にはお任せがありません。
その日の種がカウンター奥の札にあり、
それを見ながら自分が食べたいように頼みます。
とはいっても、やはり小笹寿し。
不粋な注文は許されません。
さらには、
箸袋の置き方にも作法が求められ、
煮切りをつけて出されるスタイルなので
巻き物を頼むまでは、
小皿に醤油を注ぐことさえ許されません。
辺鄙な場所にあるとはいえ、そこは有名店。
1日に何人もの、いろいろな一見さんが来ます。
岡田さんは、そのぎょろりとした眼で、
目の前の客が、どの程度の食べ手かを見定めます。
そしてその人が、その後、
どの寿司屋に行っても恥ずかしくないように、
たしなみを教えてくれるのです。
まずは箸の使い方です。
煮切りをつけるこのお店では
あまり切実ではないのですが、
それでもやはり、握りを食べるときの
箸使いは、第一のたしなみ。
右利きなら、右の箸で握りを左に倒しながら
左の箸でネタを受けて、
ネタを下、シャリを上にして、
上下で箸で挟みます。
こうすることで、
ネタの方が、先ず舌に乗る流れになります。
醤油をつける場合でも、この流れなら
きれいにネタだけに醤油がつけられます。
手で食べる時も、基本は同じ流れを指で再現します。
高級店で見ていても、
意外ときれいに食べている人は少ない。
酔って江戸前についての講釈を垂れているような客に限って、
おかしな食べ方をしている人が多いような気もします。
最初の一貫の食べ方を見ただけで、
その人が、どの程度の食べ手かは分かってしまいます。
箸の使い方は、地元のいきつけで身につけていたので、
僕の場合、この第一関門はクリア。
20歳そこそこの若造が、
意外ときれいに食べているのを見て、
岡田さんの眼がさらに大きく開いたのを憶えています。
注文の組立てについても、
何かを言われた記憶はないのですが、
岡田さんは強制はしなかったけど、
基本は手で食べて欲しそうにしていました。
濃厚なツメがのった煮蛤とか、
そういうのはもちろん箸でも何も言わないのですが、
白身とか漬けは、手で食べなよ、その方が美味しいよ、
と、何度か言われて、小笹寿しでは
前半から中盤にかけては手で食べるようにしていました。
個人的には、手で食べると、
自分の体温がネタに乗るのが気になるので、
箸で食べる方が好きなんですけどね。
あと、箸は絶対ダメって言われたのは、巻き物。
それは分かるような気がして、
2度目から最後に行った日まで、
ずっと手で食べるようにしていました。
岡田さんについては、頑固だなんだと
その人柄について語られることが多いのですが、
僕は直撃を喰らったことがないのと、
どの言葉もやさしさや愛情に溢れていて、
あえてここで書くこともない、というのが正直な印象です。
むしろ寿司に対して自由であることを、
大切にされていたように思います。
それよりも僕が興味を持ち、魅了されたのは、
岡田さんの技術、仕事に対する姿勢です。
僕が通っていたのは、岡田さんの最後の10年。
名人の最後の10年です。
当時の小笹は、お店に入ると、どこに座るかは、
岡田さんが決めていました。
行きはじめてしばらくは、かなりの頻度で、
岡田さんの前を指定されます。
そしてある程度の回数を経ると、
飲む常連さんが座ることの多い、
お弟子さんの西川さんの前になります。
これは偶然ではなく、明らかに
岡田さんの意志が感じられました。
そしてまたしばらくすると、
僕は握りだけで長居しないので、
ほぼ半々になっていきます。
この意味は深い。
お店と客が関係を築く上で、
岡田さんが持っていた考えが伝わってきます。
この過程の中で、客は
同じネタでも握り手によって、
寿司はまったく違うものになることを知ります。
どちらが良いというのはありません。
しかし握りには明らかに違いが出る。
それは握り手の個性であり、経験であり、考え方です。
あの頃の西川さんの握りは、その性格の通り、
優しい、調和のとれた握りです。
一方で、岡田さんは、
どこか荒々しい、言い換えれば自由奔放な、
まるで寿司そのものが活きているような握り。
つけ台に置かれた瞬間、
一瞬沈んでから、全体が伸びあがるように立ち上がる握り。
実際によく見ていると、
シャリが、そしてネタがわずかに浮き上がります。
はじめは握りの技術かとも思っていましたが、
それだけではなく、切りつけの段階から違うようです。
白身などは、包丁の歯先の厚さ分くらい厚い気がします。
逆にネタそのものが活かっている場合は、
硬くなりがちなところを、微妙になだめていって、
活かっている状態にしていく。
この微妙な調整を、いまから切ろうとしている
その目の前にあるネタの、まさにその部分ごとに、
変えているように思いました。
面白いのは、岡田さんは仕事中も、
注文の合間に、よく自分で握って食べていること。
あんなにも客前で食べている職人さんは、
他に見たことがありません。
そしてその時の表情は、明らかに、
何かを確認しているような顔なんですよね。
僕たちの仕事で言えば、実際のOAで見る、
ということを意識してやる、という感じでしょうか。
そしてそれが寿司の場合には、
目の前にある下ろされたネタと向き合った
刹那になる、ということです。
あの有名な穴子でも、この個性の違いは出ます。
岡田さんはギリギリまで炙ります。
西川さんはよく、おやっさん、おやっさんと
心配そうに声をかけて焦げないよう催促するのですが、
岡田さんは小さく首を振って、
ギリギリのギリギリまで炙ります。
岡田さんにとって、炙ることというのは
その火で穴子を焼くということではなく、
熱せられて溶け出した穴子自身の脂で、
穴子の表面がちりちりと揚げたかのようになるよう、
狙いを定めているように感じました。
穴子を炙っているときの岡田さんは、
何か音を聞いているような素振りだったんですよね。
いま思えば、岡田さんが目指していたのは、
寿司にすることで、その種がもういちど活きかえる、
そんな寿司だったように思います。
誤解のないように書きますが、
何が良いか、という話ではありません。
作り手自身が、何を大切にして、
何を狙って行くかは、その人自身の個性であり意志である、
ということを書きたかったのです。
そして晩年の岡田さんが、
岡田さんらしくいられたのは、
間違いなく西川さんと奥さまの存在が大きい。
岡田さんが亡くなって、今年でちょうど10年。
お店は西川さんによって引き継がれ、大繁盛。
西川さんの個性も、
あの頃とはまた変わっているようです。
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