雨傘革命
このコラムを引き受けたときから、
最後の日は、香港のデモについて書こうと決めていました。
でも、はじまりの日から順を追って書いていたら、いつになっても
バトンを渡せなさそうな勢いで…。
すでにこの4回分、自分でも予想外の長文になってしまったのですが、
もしよければ、お付き合いください。
香港ではいま、学生を中心にした座り込みのデモが続いています。
具体的な要求は、親中派(中国政府に従う人々)に有利な選挙制度の見直しですが、
背景には、香港と中国の関係である一国二制度の揺らぎと、それに対する危機意識が
あります。ただ、ここまでデモが本格化したのは、当初、学生だけではじめたデモを
警官隊が催涙弾で攻撃、香港市民の怒りが爆発したため、学生デモに市民も参加し
はじめたからです。
ちなみに、このとき、学生たちが警官から身を守るため盾にした雨傘は、
いつしか、デモのシンボルとして参加者の間に広がりました。
そのため、香港のデモは「雨傘革命」と呼ばれるようになったのです。
その事件があった翌日、会社に行くと、同僚が皆、黒い服を着ていました。
理由を聞くと、「香港は死んだから」と。無抵抗の学生に、警官が暴力を振るうなんて、
香港はもう変わってしまった、だから喪服を着ることにしたのだ、と。
お昼時には、みんなでデモ隊へ食料支援しに行くというので、私もついていきました。
行って驚いたのは、参加者の間で協力体制が組織化されていること。
受付窓口のようなものがあり、私たちが買ったパンや水は、そこに渡すだけで、
デモ参加者に行き渡るようでした。デモに参加するのも特別なことではなく、自由に
行き来があって、誰でも入れる雰囲気。実際に、同僚のうち何人かは、その場にしばらく
残って座り込みに混ざったり、今も週末や空き時間で参加したりしているようです。
「うねり」という言葉がありますが、デモの光景はまさしくそれ。
大勢の人間の熱気、遠くに聞こえる演説、それに応える歓声。
それらすべてが、ひとつのうねりとなって、私を圧倒してきました。
これは戦いなのだ、と真剣に思いました。
と、同時に、なぜか悲痛な叫びにも思えるような気がしたのは、
本当は、皆、薄々分かっているからです。この戦いに勝ち目はないだろう、と。
ウイグルやチベット、他にもさまざまな地域で問題を抱える中国政府が、香港の
要求だけ特別に容認する訳はなく、己の面子をかけて断固として拒否するでしょう。
国際社会でも、はじめのうちこそ、欧米諸国が賛同の意を表していましたが、
中国との外交関係や、スコットランドの独立騒動のように自国内の地域問題を考えれば、
そこまで強く支援する訳にもいきません。雨傘革命の行く先は、八方塞がりなのです。
それでも、何か行動を起こさずにはいられない、と同僚のひとりは言っていました。
彼女は、毎晩、デモの話題で、両親と口論になったそうです。
現状には不満だが、デモを起こすほどではないという考えの両親世代と、
この先何十年後の将来を考え、現状を打破したい若い世代。
香港市民の中でも、デモ賛成派と反対派が対立し、事態は泥沼化しています。
帰国後、「デモどうだった?」とか、「暴動、大丈夫だった?」と聞かれることも
多かったのですが、何から話していいのか迷ってしまい、うまく言葉にできず、
悔しい思いをたくさんしました。そして、曖昧に、「ぜんぜん大丈夫でしたよー」の
一言で片付けてしまう自分を情けなく思いました。
だからといって、自分が香港のデモについて、どれほど気にかけているかというと、
言うのも恥ずかしいくらい。いまの最重要課題は、早くコラムを終わらせて夜ご飯を
食べに行くことだし、最大の関心事項は、どこで何を食べるかだったりします。
そうやって私は、デモがはじまった日のニュースに釘付けになったときの想いも、
香港の空気が変わっていくことを肌で感じ、心を震わせ、夜も眠らずに考えたことも、
どんどん忘れていきます。
さかのぼれば、3・11のときに感じた自分の無力さや生きることへの不安も、
9・11のときに漠然と感じた世界の終末感も、色褪せ、ぼやけ、忘れてしまって、
はっきりとは思い出せません。
でも、それでも、今回強く思ったのは、「誰かに伝えたい」ということでした。
中国への批判とか、香港に比べて日本人の政治への無関心さとか、
そういう議論をしたい訳ではなく、ただただ、現地で見たこと聞いたことを
そのまま誰かに知って欲しいと思いました。
実は、このTCCのサイト、毎日、4000ビューくらいあるそうです。(言っていいのかな。)
人が一生に知り合う数は、2000~3000人くらいだと聞いたことがあるので、
一生かけて語るより、このコラムに1日掲載する方が、より多くの人に伝えられる
かもしれないのです。それって、かなりすごいこと。
今回、改めて、文字にすること、書くことの力を、そして、それに伴う責任を、
痛感しました。
香港のデモが起きたとき、香港の広告人も広告を使って動きました。
代理店に勤める人々が会社の垣根を越え、個人の連名で、
新聞30段に、デモを支持する意見広告を出したのです。
今回、東京で、このTCCのサイトに、私がこうして書くことで、
読んでくださった方の心が、少しでも動いたなら本当に嬉しいです。
ちなみに、同じ会社の方は、12月に社内報告会がある予定なので、
ご興味あればぜひ来てください。最後にちゃっかり宣伝です。
さて、本当に長くなりましたが、来週、バトンを渡すのは、博報堂の井村さん。
これまた、このコラムを引き受けたときから、決めていました。
あまりにも強く決めていたので、正確には渡したというか、
たとえてみるなら、バレンタインデーの日に体育館裏に呼び出して、
有無を言わさずチョコレートを押し付けてきた状態に近いです。
それでは、井村さん、よろしくお願いします!
…と、紹介したらヤバい!!井村さんが先にコラム書いてる!!!なんてこった!!!!
これ、26日を装って、27日の早朝にアップしているのですが。
(結局、夜通しになっちゃって…。)
井村さん、いつアップしたの!!!?ほんとにすいません!
次は、井村さん!!井村さんです!!!バトン渡します!!
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