和尚
2003年2月。
羽田空港に田舎者丸出しの少年二人が降り立った。
吹雪の札幌からやってきた私と和尚である。
和尚とはあだ名で、本名はヒロユキである。
ある日突然、あたまを丸めて登校して以来、
男女問わず、保護者にさえも和尚と呼ばれるようになった男。
その彼と、大学受験のために東京へやってきたのだ。
夜になり食事をとるため我々は街へ繰り出すことにした。
目的地は渋谷である。
渋谷に目当ての店があったわけではない。
聞いたことのある街が渋谷くらいしかなかったのだ。
駅を出て我々は愕然とした。
祭でもあるのかというような人の群れ、
昼かと思うほどにまばゆい看板の光、
そして、我々を見下すかのようにそびえ立つビル。
私と和尚は歩けば歩くほどみじめな気持ちになった。
我々が入れるような店なんてひとつも見つからない。
「俺たちにはまだ渋谷は早すぎた」
そう絶望する少年たちは、ある看板に目を奪われた。
「お好み焼き」
私と和尚が通った札幌の高校のすぐそばには、
老舗のお好み焼き屋さんがあった。
我々は部活帰りによくその店でお好み焼きを食べたものだ。
その記憶がよみがえった我々は目を合わせ、うなずき、
顔を上げて店へと入った。
薄暗い店内に、がたつくテーブル。
それはどこか札幌の店を思い出させ
我々はにわかに元気を取り戻した。
当時好きだった女の子に、
「今から渋谷で和尚とメシ食うわ」
と自慢げにメールするくらい私は回復していた。
そこでお好み焼きを素直に食べればよいものを、
我々はもんじゃ焼きを注文した。
東京と言えばもんじゃだ、と和尚が言ったからである。
しかしテーブルに運ばれてきたボウルを見て
我々は再びとまどうことになる。
具の入ったボウルが一つしか運ばれてこなかったからだ。
ここで説明しておこう。
例の札幌の店ではもんじゃ焼きを頼むと、
ボウルが二つ運ばれてくる。
一つには具が、もう一つには汁が入れられており、
具を炒めたあとで汁を注ぎ、もんじゃ焼きをつくるのだ。
しかし、渋谷のその店では、
具の入ったボウルが一つだけしか出てこなかったのだ。
東京生活も10年を数える今ではもう慣れたが、
東京のもんじゃ焼きはそもそもボウルが一つなのだ。
具と汁は一緒に入れられており、
具だけを器用に掻き出して炒めたあとで、
ボウルに残った汁を注ぐのだ。
そんなこともつゆ知らず。
和尚は言い放った。
「汁は後で来るだろ」
そして豪快に鉄板の上でボウルを傾けた。
全部、流れていった。
あの焦げ落としの穴へ一目散に流れ落ちていった。
どうすることもできず、
我々はそれをただ見つめていた。
顔を上げた和尚の顔は真っ赤だった。
そして、不器用に微笑んでいた。
結局、ふたりとも受験に失敗した。
和尚は翌年なんとか大学生になれたが、
私はさらに一年浪人を重ねることとなる。
先日仕事で渋谷に行くことがあり、
ふと和尚と行ったお好み屋を探してみることにした。
それはすぐに見つかった。
センター街のほぼ入口にその店はあった。
当時の我々はスクランブル交差点を渡っただけで
もう諦めてしまったのかと思うと情けなく、
それでいてちょっぴりかわいいやつらだなと思ったのだった。
あのお店、和尚とまた行きたいものです。
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