広告を後ろ向きに考える。
1991年から1993年まで。年齢でいえば、29歳から31歳まで。私は会社を休職して、大学院生をやっていました。もちろん無給なので、貯金を食いつぶしながらです。いい年をして、学割で帰省もしました。
その2年間は、社会学の領域で修士論文というものを書こうと、ただただあがく日々でした。テーマはやはり広告にしました。広告代理店を辞めたわけではないし、まぁ7年間働いて、いちばん問題意識も知識もあるので、といった理由からです。
私は1980年代前半、京都の大学で日本近世史(江戸時代)を専攻し、古文書に埋もれた生活をしていました。そんな浮世離れした人間にも、なんだか世の中は広告ブームらしくて、コピーライターという人たちがブイブイいわしてるようだ、みたいな感じは伝わってきます。で、会社に入ってみると、広告表現のブームは終わった、これからはマーケティングがトレンドなのだ、みたいなことのようです。
この落差は一体何なのだろう。そんなわだかまりが、私の脳裡にはありました。せっかくの機会なので、それについて書いてみよう。というわけで修士論文では、私が生まれた60年代、もの心ついた70年代、そして世の中に出た80年代の「広告の同時代史」を描いてみようとしました。
結果は、失敗です。
でも、自分がコピーよりも、論文を書くことが好きな人間だと、心底悟りました。多くの人々の協力が不可欠な広告の世界は、私のような協調性のない人間向きではなかったのです。しかし、論文では飯は食えません。修士課程を終え、貯金も底をついたのでいったん復職し、会社員かつ日曜学者みたいなことを3年やりました。で、運よく今の職場に拾われました。拾ってくれた方がメディア史の権威だったので、その人のもとで戦前や戦中の広告(商業美術)やプロパガンダなどについても書き始めました。今では何でも屋のような私ですが、基本は広告史の研究者だと思っています。
ここ数年、テレビCMのアーカイブ構築にも、ちょっとだけかかわっています。京都桂坂の国際日本文化研究センターには、ACC受賞作のアーカイブがあり、同じく洛北の京都精華大学にも大規模なCMデータベースがあります。また、旧萬年社のもろもろは大阪市に寄贈され、大阪市立の美術館や大学で資料整理が進んでいます(大阪市が無くならなかったことに、日々感謝)。
広告ビジネスの最前線にいる人たちからすれば、なに悠長なことやってるんだよぉ、なのでしょう。でも、古いCMを見るのは、楽しい作業です。かすかに記憶に残っているものもありますが、ほぼ未知の世界です。たとえば、1961年の吉田製作所・エアロマットのテレビCM。何のCMかというと、歯科での治療の際、患者の座るあの椅子(?)の商品広告です。
憂鬱な歯の治療も 吉田のエアロマットがさっぱり解決してくれます。
1分間35万回転の超高速で痛みも少なく 治療時間も今までの10分の1で済みます。
吉田のエアロマットがある歯医者さんへ行けば ガリガリの恐怖はもうありません。
なぜこの商品をテレビCMで???
私の生まれた1961年でもこんな感じなので、50年代のテレビCMの混沌ぐあいは、なかなか趣き深いものがあります。
このCMは、最初アニメで始まり、途中実写に切り替わります。そして、登場してきたお姉さんが、商品の横に立ち、カメラに向かって正対して上記のナレーションを語ります。ナショナルの泉大助の生コマみたいです(といって、どれほどの人に伝わるかは、不明)。まるで、ブラウン管越しに、お茶の間の視聴者に直接語りかけるかのよう。ブラウン管とかお茶の間とかも死語でしょうが、こうしたCM作法も、今見ると逆に新鮮だったりします。
ビデオデッキも家庭用ゲーム機も、もちろんPCもスマホもない時代。ながら視聴とかタイムシフトとか、ましてやマルチスクリーンなどありえない時代。視聴者は受像機に対座して、地上波放送を真剣に見入っていたんだろうなぁと推測します。
広告業界の青春期が1960年代で、壮年期が80年代なのでは。1984年入社組の感慨です。
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