ドリル
中学くらいの時から、
人生のあらゆる段階において、
ドリルをやっている。
いや、ドリルってのは「たのしいさんすう」とか、
「うれしいこくご」みたいなそういう
小学校低学年でやるもの
から本歌取りしまして、
「短い文章でなんとなく面白い言葉を紡ぐ」、
ということを面白の基礎鍛錬という程度の意味で、
そう呼んでいるのです。
まず、中3から大学まで。
この時は同級生の関岡くんと
「七五」という遊びに興じていたのだった。
要はドドイツの調子に合わせて、
なんとなく面白いことを言う。
それで、相方をうならせることができたら
「1点」がもらえる。
この「1点」がまた、シビアなもんで、
なかなかもらえない。
結構やってても1ヶ月に1回くらいしかもらえない。
そんななかで、「1点」の壁、そり立つ壁を
クリアしたものを紹介すると、
小学校の友達が、巻き込まれては消えていく。
はりつけの刑に処されたら、命を乞うのがマイブーム
鈍角ばかりじゃ物足りない、鋭角ばかりじゃ夢がない。
節だけ変えて歌ったら、呪文になってて呪われた。
八艘飛びを繰り返し しだいに疎遠になっていく
などなど、またこれが難しくて、
上の句だけパッと思いついても、
下の句がそれに見合うものじゃないと
1点はもらえない。
いくつか秀作がもっとあったのだが、
忘れてしまったのが惜しい。
大学になって関岡くんと別離すると、
自分の学校にはあまりそういう仲間はいなかったので、
思いついたことはミクシイに書き留めていった。
今見返してみると、
この時は特にドリルにルールはなく
バーリトウードで書いていたようだ。
更衣室がいっぱいで黙祷の隙に着替えた。
幽霊だと知らずに金を借りてしまった。
討ち入りにオーバーオールで来た。
春画師の息子のみで結成されたコーラスグループ
サソリの匂いが気になって命を犯して確かめる
ドドン・ガ・ドンの調子に合わせ草葉の蔭で尻を振る
口では厳しいことを言うがワイシャツの下からは俺の顔がプリントされたTシャツが透けている
などなど。この時はマイミクが6人しかいなかったので、
対外的に評価されることはなく、
モチベーションが保てずあまり数が書けなかった。
褒められることは大切である。
その後、会社に入社して、暇な時分、
いっちょプロでも通用するのか、ということで、
SPA!のバカサイの「イマジン」というコーナーに
同期の秋田くん、いや、
ワンチンギン先生とともに投稿していた。
その時、私こと下下劣は、
「俺にかまわず先に行け!」という言葉がよく聞こえずに戻ってきた浅香光代。
たけし軍団の彫刻が左右に立ち並ぶ長い廊下。
浅倉大介以上でも以下でもないアンドロイド。
鶴光探検隊の絶望の結末。
あらかじめ考えていたのがみえみえの小松政夫のガッツポーズ。
時任三郎だけがやたら儲かる仕組み。
などが掲載されたのだった。
やはり、バカサイの性質上、芸能人ネタがほとんどである。
そして、今。
ここ数年同期の尾上くんと「どう?」というドリルをやっている。
いや、単に思いついたことを「どう?」と相方に聞くと、
よければ、「いい」。
もっとよければ「かなりいい」。
これはひょっとして後世に残すべきものでは、
というものには「相当いい」と、
その作品に対するまとまった批評がもらえる。
最近の「相当いい」だと。
トンネルを抜けるとそこはちょんの間だった
アングロ関さん
残波鳴広
米良チオ
離婚した相手とまた再婚することを離婚ストラクションって呼ぶ
8,6秒バズーカのモノマネで再起を図る桑マンとマーシー
などなど。
「どう?」は比較的オープンにできないものが多い。
振り返ってみてみると、
中学の時から、はりつけだの、幽霊だの、
討ち入りだの、絶望だの…。
暗い世界観のものが多いなぁ。
企画に直接役に立ったことはないけれど、
自分がどういう人間かをぶれずに持ち続けるために、
初心を忘れないために。
僕は今後もこのドリルを生涯やり続けるのであろう。
(七五以外はだいたい全部記録している。)
村田俊平
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