リレーコラムについて

2007

原晋

もう東急を辞めて8年が経った。

その間、よく働いていると思う。
少しずつ仕事の範囲も広がった。
もちろん、常に先は見えない。
かといって、会社員であった頃ほど不安ではない。
なぜ大きな広告代理店を辞めたのか、とよく聞かれた。今もよく聞かれる。

ただ、「営業に行け」と言われて、再びかつて3年半やっていた営業をやることはもう遠回りだった。
その場で「辞めます」と上司に伝えた。
上司にはすごく世話になった。
自分のコピーを信じすぎるところがあった私を、いつもたしなめてくれた。
その上司にだけは、今も頭が上がらない。

でも、そんな人だけじゃない。
辞める前にいろんな人に挨拶しに行った席で、「お前はTUGBOATじゃないんだぞ。」と言われたこともある。
他のことはともかく、それだけはわかっていたつもりだけど。

辞めると伝えた後で、妻に電話した。
小さなお店をやっている自営業の親を持つ私は、いつか会社はやめるんだとおもっていた。
だから、「いつか収入がゼロになる日が来るから」と入社前から言っていたけど、本当にその日が来てみると何の実感もないのだろう。

「会社辞めることになった。」
「ふーん。いつまで働くの?」
「3月まで」

それだけだったと思う。
行き先はもちろん決まっていなかった。

ちょうど一人目の男の子がお腹にいた時だった。

川地くんからリレーコラムのバトンを受けました、シカクの原です。

川地は東急の1年後輩で、その東急ではたぶん、サッカー部に遊びにきてくれたことで関係が深くなったのだと思う。
当時の私はクライアントから徒歩30秒のビルに24時間軟禁されていたので。
仕事をしたのは辞める直前の1回だけ。
その仕事は負けたけど、おもしろかった。

去年、私の得意分野の1つである歴史モノで声を掛けてくれて、再び仕事をすることになった。
久しぶりに仕事をした川地は、あのころと変わらぬ推進力と優秀さは健在で、経験値が格段に増して間違いなく東急のエースになっていた。
自分がその後、会社員のままだったとして、この男になっていたかと言えば、絶対になっていない。
フリーになってようやく社会人になれたところがある私より、社内の人間関係をつくるのは圧倒的にうまい。

このTCC新人賞を取って、川地はもう取れる賞はすべて取ったんじゃないかと思う。
こういう男が遠慮なくフリーになれるコピーライターの環境を作れるよう、まだまだ前線へ押し出して行かないといけない、と思う。

まだ辞めて8年。シカクになって6年半にすぎない。

NO
年月日
名前
5805 2024.11.22 中川英明 エキセントリック師匠
5804 2024.11.21 中川英明 いいんですか、やなせ先生
5803 2024.11.20 中川英明 わたしのオムツを替えないで
5802 2024.11.19 中川英明 ドンセンパンチの破壊力
5801 2024.11.18 中川英明 育児フォリ・ア・ドゥ
  • 年  月から   年  月まで