2013-15
予定を超えて8時間に及んだ手術は、成功した。
夏が過ぎ、3人目の男の子が生まれ、秋が過ぎた。
行けない日もあったが、朝の数時間は病院へ通った。
無菌状態に近い病棟から、空気の澄んだ日は窓越しに富士を見せた。
痛みで全く笑わない日がほとんどだった。
投薬が始まれば、ほぼ何も食べてくれなかった。
それでも、罪悪感を残しながら病室を後にした。
働かなければならなかった。
病床の子のために休めなくても、会社員に戻る気はなかった。
最も強かったのは、闘病していた本人だろう。
だから自分も強くありたいと思った。
やりがいのある仕事がたくさんあって、それにチャレンジできる環境が目の前にある。
集中することだけが、ただ難しかった。
年が明けて、なぜか3度のテレビ出演を果たし、ふたたび春が来た。
1年の闘病生活を終えて、次男は奇跡的に退院した。
それから四谷にもう一度春が来て、2度目の契約更新が近づいていた。
付き合いのあった、あるデザイン会社が引っ越すという。
チャンスだと思った。
私はメンバーにオフィスシェアの相談をした。
目の前は安泰だった。
だが何年か先を見たとき、わからないと思った。
別の血が入ることは、シカク史上最も困難なことだったと思う。
シカクのメンバーの面白さは、こういうたぐいの相談を、なぜか揃って前向きに受け取ることだ。
少しアホなのかもしれない。
カレー屋の本棚に並んだOne Peaceを読み残したまま、4年を過ごした四谷を離れ、KucHen(クーヘン)とオフィスシェアを始めた。
これまでシカクだけでは来なかった様々な人たちが、オフィスを訪れてくれるようになった。
今、1年が経って、やっと少し緊密な関係になってきた。
僕らの10年後はわからない。
もっと言えば1年後もわからない。
ただ、今を生きているだけではダメなことだけは確かだ。
それでもシカクには、今日も、渋谷で最ものんびりとした空気が流れている。
子どもは3人で打ち止めにしようと思う。
きっと4人目も男の子だろうから。
5日間ありがとうございました。
書こうかどうか迷ったところもあります。
でも、うれしいことなのでしょうか。
どんどんあの頃の記憶は薄れていっていて、いつかほとんど忘れてしまうのだと思ったので、書くことにしました。
すべての1年1年がつながって、この濃密な8年になりました。
さて、来週は名雪裕平さんです。
名雪さんとはTCCの幹事でずっとご一緒していて、シカクとKucHenの忘年会に顔をだしていただいたり、時々飲みにも行きます。
最近は趣味のキャンプによく行かれています。
まさかの元ワンゲル部だそうで。
歯切れのよい口調の言葉で、どんなリレーコラムになるのか個人的に楽しみにしています。
名雪さん、よろしくお願いします!
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