リレーコラムについて

命題

名雪祐平

父79歳、母87歳の2011年3月11日。

ぼくの実家は、銚子です。あの大震災では、東北の規模には全
然及ばないものの、沿岸では津波襲来による建物崩壊など、被
害が多々ありました。隣の旭市では、16名の死者・行方不明者
が出ました。

地震直後、老いた両親が気がかりでした。
実家は利根川沿い。津波が遡上する恐れがありました。
避難警報が出ても、両親は車を持っていません。ありがたいこ
とに隣り近所の人たちがすぐ来てくれたそうです。一緒に連れ
て、高台に逃げようと。

ところが、父は居間に座ったまま、こう言い放ちました。

「行がねぇ!」

断固拒否。
その話を後から聞いたとき「もしかしたら、父は早く死にたか
ったんじゃないか」と、感じました。父は脳梗塞の後遺症で右
半身が不自由でした。何とか自力で歩くことはできましたが、
病院のリハビリは指図されるのが気に触るのか行かなくなり、
愛犬クロの散歩だけが父の運動能力をキープする唯一の方法で
した。その頼りのクロも老衰で死んでしまい、父はまったく家
の外に出ることがなくなりました。体力の問題もあったと思い
ますが、精神が外界を遮断したのかもしれません。隣に住んで
いた実の兄の葬式さえ列席しませんでした。そんな父と、母は
暮らしていました。

居座る父を、近所の人たちが連れていこうとしても、「行がね
ぇ! 行がねぇ!」と、激しく抵抗。近所の人はしかたなく母
に判断を求め、最悪でも、母だけは助けて連れて行こうとしま
した。母は両手を合わせ、近所の人に拝むように、こう懇願し
ました。

「申しわけない、申しわけない。行ってください。
この人を置いて、わたしは行けない」

警報は鳴っています。時間はありません。頑なな二人を残し、
近所の人たちは実家を離れました。その時の、近所の人たちの
思い。母の思い、父の思い。二人きりになって、NHKによる
東北の衝撃的な空撮の映像を両親はどんな気持ちで、どんな顔
で見ていたのでしょう。母は外に出て、しばらく利根川を見て
いたようです。水面は玄関先まで来て、止まりました。

父が出した命題。母の答え。
夫婦とは、いったい。
いまだ、よくわかりません。

その年の11月、父は他界しました。最期は肺炎でしたが寿命だ
ったと思います。母はもうすぐ92歳。いまも実家で元気です。

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以上が名雪のコラムとなります。
規定の本数より足りなくてごめんなさい。

次は、むかしデスクを並べていた篠原茂さんに
お願いします。

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