鰻
2015年5月19日、
親父が死んだ。
その2日前、僕と妻はお義母さんを連れて、
親父の入院する水戸の病院に向かっていた。
本当は翌週に見舞う予定だったが、
早い方がいい、というお袋の勧めで急遽予定を調整した。
良く晴れた日曜日。
それでも、首都高からの常磐道はいつも通りスムーズで、
病院には10:30頃到着することができた。
外は汗ばむくらいの陽気なのに、
ケア病棟の中はひんやりとしている。
エレベーターで6階へ上がる。
個室の引き戸を開け、カーテンをくぐると、
そこには親父が、苦しそうに横たわっていた。
暮に癌の再発が分かり、
すぐこの病院に入院することになった。
それから5カ月。
医師が告知した、桜の咲く頃、はとうに過ぎている。
それでも4月に会ったときは、
往生しながらも車椅子に乗ることができた。
しかし、今の親父にそんな力は残されていなかった。
「よく、来たな…」
そう言うのが精一杯だった。
1時間ほどたった。何かしゃべりたそうだった。
お袋がベッドのリクライニングを起こす。
もどかしげに酸素マスクをずらす。
「…なぎ」
「えっ、何?」
「うなぎ…」
「うなぎ?」
親父が目でうなづく。
「昼…うなぎ…食ってけ」
この近所に親父が贔屓にしている鰻屋あるのは聞いていた。
お義母さんらを連れて鰻を食べて来い、と言っているのだ。
「ありがとう、東條さんだっけ?行ってくるよ」
これが、親父と言葉を交わした最後だった。
鰻屋から戻ると親父は眠っていた。
しばらくして、ではそろそろ、と帰り支度をしていると、
親父が目を覚ました。
「鰻、ホント旨かった。じゃ、また来るから」
無言ながら、親父はしっかりと手を挙げて僕らを見送ってくれた。
その手は、強かったあの頃の、よく知る親父の手だった。
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リクルートコミュニケーションズの篠原と申します。
名雪師匠のご指名により、今週1週間、
リレーコラムを担当させていただくことになりました。
よろしくお願いいたします。
テーマは、ぼんやりと「極々私的な2015年」。
いきなり初っ端から「別れな話」ですみません。