リレーコラムについて

私をコピーライターにした男たち② 〜ふたりだけのノート〜

木村敦子

求人広告を扱う会社に営業として入社後、
すぐに体調を崩し、休職していた私を制作にしてくれたYさんが
コピーライターとしての生みの親だとすれば、
今日登場する男性は、育ての親。

文章の書き方どころか、
世間のこともろくに知らなかった私にとって
大きすぎる存在の男性のお話です。

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「あっちゃん、ノートは?」

出社後、その男性がいる小部屋に近づかないように
ひっそり仕事をしていると、
他のスタッフに用事があるフリをして
その男性は私の席にやってきます。

「ノート、はよ出しやぁ〜」

「はいっ!今すぐっ!」

私の手には、ボロボロになったA4サイズの分厚いノート。
PC上で進めていた『宿題』を急いで完成させ、プリントアウト。
ノートの左側のページに貼り付けて、提出しに行きます。

ノートとは、制作アシスタントから制作になって以来、
その男性と毎日続けていた『コピー交換日記』。

制作になってすぐ、コピーの「コ」の字どころか
求人広告の基本すらわからなかった頃は、
過去の優れた求人広告を切り抜いて貼り付け、

・その求人広告のコンセプトは何か?
・ターゲットは誰か?
・どこが良くて、どこがダメか?

などを分析してまとめ、
最後に「私だったこう書く!」という自分なりのコピーを5本ほど。

制作の仕事には慣れてきたけど、長文が全く書けなかった頃は
長文コピーの写経&分析。

宣伝会議賞の応募期間中(2ヶ月間)は、
1課題コピー30本(休日はコピー50本以上)。

時事に弱いことが発覚してからは、
その日のニュースで気になったものを取り上げ、
自分なりの意見を書くことも追加されました。

それらを宿題として毎日、
仕事後〜翌日の朝までにやり、ノートの左側のページに貼って提出。
お昼休みから帰ってくると、私のデスクにはいつも
『お返事』が返ってきていました。

ノートを開くと、右側のページには、手書きの文字がびっしり。
私が書いたコピーへの感想や、コピーの基本的な考え方、
求人市場の現状についてや、題材である商品の背景にある人の心理など。
毎日、宿題のテーマに合わせた内容が隙間なく書かれていました。

時には、私の仕事ぶりを見て
「もっと営業とコミュニケーションとった方がいいんちゃうか?」
「あっちゃんは何のためにコピー書いてるんや?自分のためか?」
「人に喜んでもらえる仕事をしなあかんで」など、
社会人として、一人の人としてのアドバイスも。

かと思えば、ところどころに、
「今年の協賛企業賞はオレのモンやな!」などと
宣伝会議賞で対決していた形跡もしっかり残っています。
(実際、このノートから3本の協賛企業賞が生まれました)

数年間でノートは30冊以上になり、
今も私の狭い部屋の一角を占拠中。
月並みな表現ですが、このノートたちは私の宝物です。

もともとコピーライターになりたかったわけではない分、
こうして大きな愛情で包んでくれる人がいなければ、
毎日のように締切があり、心身ともにハードな制作の仕事は
続けられなかったと思います。

きっと、社会人人生の中でここまでしてもらうことは
後にも先にもないだろうし。
「今度は私が誰かに同じことをして、返していかなくちゃ」と思いながら、
まだまだ未熟な私は今でも、
何かある度にそのノートを開いては、元気をもらっています。

そういえば。
その元上司(また別のYさん)には、
今でもよく仕事の報告をしているのですが。。

「仕事もいいけど、
そろそろプライベートで結果を出すよーに!」

という宿題は、何年も未提出のままです。

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