リレーコラムについて

広告のない国へ。(キューバ旅行記3)

原田朋

「私、恋に落ちちゃった・・」とリズが言ったので、ツアーメンバーみんなで「ワォ!」と叫んでしまったら、静かなチェ・ゲバラ霊廟の中に「ワォ!」が響いて、参拝していた人たちの注目を集めてしまい、メンバー全員口を手でおさえた。ジャーナリズム一筋な感じのメタルフレーム眼鏡をかけ、恋人は経済かもしれない経済誌のライターであるリズじゃなくても、チェ・ゲバラの生涯の展示をここで見たら、恋に落ちてしまうだろう。サンタクララという街の郊外にあるこの霊廟には、1967年にボリビアで殺害され、1997年に発見された、チェ・ゲバラの遺骨が埋葬されている。館内には、幼少期からの彼の写真がエピソードとともに飾られていた。幼少期からイケメンすぎる39年の生涯を30分で僕らは体験して、誰もが恋に落ちる仕組みになっている。革命を達成したキューバを離れ、革命を起こすために行ったボリビアで亡くなったチェ・ゲバラ。医師でもあったインテリの彼を突き動かしたのは、正義感というよりはロマンだった気がしてならない。

 日本を出る前に、キューバに行ったことのある友人タイゾウさんから話を聞いた。港区某所のキューバBARに連れて行ってくれたタイゾウさんは、僕にシガーの吸い方を教えてくれながら「ゲバラはどこで生まれたか知ってます?」と聞いてきた。てっきり僕はキューバだと思っていたが、答えは「アルゼンチン」。へーっ!と盛り上がっていたら、BARのマスターも「キューバに行かれるんですって?」と話しかけてきた。僕がバスツアーの行程表を見せると、彼は一瞬無言になってしまった。「えーっと・・東京について、大阪を通って広島にいって、そこから一気に仙台に行き、また東京に戻ってくるって感じですかね・・いや、いいツアーと思いますよ」大げさだと思っていたが、正しかった。体力的にはそうとうキツかったが、首都ハバナだけではわからない、地方都市、特にバスから見える途中の風景は、目の奥に焼き付いている。途中のドライブインで、物乞いの女性が、なぜお金をくれないんだ?と逆ギレしてきたことも。社会主義なのに、物乞いの人がいる。この国は過渡期にあるのだと。

 チェ・ゲバラ霊廟のあるサンタクララから、1514年にスペイン人が入植した古い街、中東部のトリニダーに向かった。街はすべて石畳で、道幅がせまい。植民地時代の雰囲気を残している異空間だ。カラフルな建物と古いアメリカ車がまったく時代をわからなくさせる。キューバでは「カサ(家)」に泊まる民泊がメジャーで、まあ「家」といっても観光客向けにきれいに改装してあるのだが、泊まるカサは家族経営でコミュニケーションが温かい。半日自由行動があったので、僕はガイドブックに書いてあった「民族音楽のレッスンを受けたい」と女主人に言ってみた。彼女は「私のおじがミュージシャンなので連れて行ってあげる」と100m歩いた家まで連れて行ってくれた。丸坊主のパーカッショニストの先生は、迎え入れてくれたときは笑顔だったが、レッスンがはじまると真剣。サルサの基本リズムを少しずつ少しずつ教えてくれたが、手のフォームが悪いらしくコンガがうまく鳴ってくれない。なんどもフォームを直され、手の平が痛くなった。で、ちょっと叩けるようになってきたところで、みんなと約束した集合時間になってしまい、もう行かなきゃいけないんだ、と言うとめっちゃ悲しそうな顔に。でも「もしよければ私のDVDを買わないか」と言われ、まあ記念だと思って合わせて2000円くらい払った。これってキューバの人にとっては大金だよな。先生の家の中には、先生のコンサートのポスターが貼ってあった。いわゆる消費財の広告はないけど、コンサートのポスターはあった。でも社会主義なので、ミュージシャンも、ダンサーも、みんな、公務員なのだそうだ。

(写真は、チェ・ゲバラ霊廟、トリニダーの街)

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