つながらない回路
母がアルツハイマーとわかって
しばらくしてからのこと。
外出先から弟と一緒に帰ってきた母が、家の前で
「ここは、うちじゃない気がする」
と言ったことがある。
ついに来たか。
弟は焦って、駅からの道をもう一度母と一緒に歩き
道をひとつずつ確認しながら
「ほら、ここがうちだよ」と説明した。
「そうね」
どうやらそのとき母のなかでは時間が歪み、
大昔、結婚当初に住んでいた駅近くのすまいと
そこから徒歩5分ほどの、いま住んでいる家とが
混乱してしまっていたらしい。
認知症のお年寄りが意味不明なことをつぶやいても
その人のなかには、実は、その人なりのストーリーがある。
「なにバカなこと言ってんの?」では
片づけられないのだ。(※)
先日母が、布団に入ってから、つぶやいた。
「お墓、どうすればいい?」
「お墓?だれの?」
「○○さんの、お墓」
○○さんとは、数年前に亡くなった母の従兄で
その翌週に、何回忌かの法要を控えていた。
「あ、○○さんの法事ね。今度の土曜日だよ。
お姉ちゃんが迎えに来てくれるから大丈夫だよ」
そう言うと母は安心して眠りについた。
深夜に「お墓」という言葉が飛び出して
ちょっとドキッとしたけれど、
何のことはない、「法事」という言葉が出て来なくて
「お墓に」化けちゃっただけのことだった。
また、病院へ連れていくときに
母を後部座席に座らせ運転していたら
「一緒にいられなくてごめんね」と言う。
なんのこっちゃ。
探ってみると、それは私が運転しているのに
助手席に座らず、後ろにデンと座っててごめんね。
の意味だった。
妙なことをつぶやくようになってしまった。
と、ため息をつくこともできる。
でも、私は、法事のことを覚えていた母が嬉しいし
クルマの座る位置にまだ気を遣える母が嬉しい。
できなくなってしまったこと
わからなくなってしまったことを数えればキリないが、
そのなかにも、まだできること、わかることを
みつけて喜びたい。ほめてあげたい。
ひとつずつできることが増えていく子育てに比べれば
圧倒的に切ないが、未来から逆算すると
母にとっては、つねにいまがいちばん、なのだから。
(※)アルツハイマーではなく、
「レビー小体型認知症」では、明らかな幻覚を見るそうです。
「隣に宇宙人がいる!」と言ったりしても、
本当に見えているそうです。