リレーコラムについて

お出かけ老人

西橋佐知子

徘徊、ということばを辞書で引くと
「あてもなくウロウロと歩きまわること」
と書いてある。

外をうろついている認知症のお年寄りのことを
「徘徊老人」などと言ったりするけれど、
その表現はちょっと違うんじゃないか?
という気が最近している。

先日、認知症の患者さんの一見不可解な言葉のなかにも
その人なりのストーリーがある、という話を書いた。

専門家によれば、やはり
お年寄りの徘徊(という言葉をいちおう使うけれど)にも
必ず理由があるという。

ひとりで出かけちゃダメ、と何度言っても
外に出てってしまい、ご近所さんやおまわりさんに
連れられて帰ってくる母。

母が出歩く理由は2つ。

ひとつは、外でお買い物したり
ご近所さんとおしゃべりしたり
喫茶店でお茶したりしたいから。

それは、元気だったころには当たり前にしていたことだ。

もうひとつは、一緒に暮らす父のそばにいたくないから。

買ったばかりの缶詰をゴミ箱に捨ててしまったり
はずした受話器をもとに戻せなくなったり。
日常生活がおぼつかなくなった母に
父はいちいち大きな声を出す。

「それは違う!」
「それはダメだよ!」
父が思わず大きな声を出してしまう気持ちもわかる。
しかし、もはや母の中に理屈や我慢は存在しないから
怒鳴る人のそばにはいたくない。
「おい!出てくな!」
大声を出すほど、逆効果なのだ。

「やさしくしてあげたほうが、お世話がラクになるよ」と
父に何度言っても、昭和ヒトケタ生まれで
絵に描いたような亭主関白の父が
いまさら母に優しくできるわけがない。

かくして母は、父の目を盗み、逃れるようにして
「お出かけ」してしまうのだ。

でも、昔のようには歩けない。
自分がどのくらい歩けるかもわからない。
「ああ、もう歩けない」というところ
(それも幸い大した距離ではないのだが)まで行って
動けなくなる。

近所の花屋さんが母を台車に乗せて
連れ帰ってくれたこともあるし
おまわりさんにおんぶされて帰ってきたこともある。
東京のどまんなかだけれど、
住み慣れた街のご近所づきあいがどんなに大切で
ありがたいものか。
母が認知症になって身に染みた。

はたから見れば明らかに母は
いわゆる「徘徊老人」なのだが
私には、そうは思えない。
母のなかで、それはいつもの「お出かけ」なのだから。

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