都会の狸
先日の夜、谷中の住宅街を歩いていたら向こう側から
何か生き物が走って来ました。谷中は猫の街だから、まあ。
と思って見ているとどうも迫力が違います。
ハッハッハ…という声と少々足音にドドド感があるのです。
立ち止まって待っていると、それは狸でした。
僕のことを一瞬たりとも気にせずに
ドタドタ駆け抜けていく時ふと合った狸の目には
一流の必死さを感じました。
猫は人を意識してゆるっと走ります。
その旨、その場でSNSに投稿したところ、
割と各所から東京で見るよという声が返ってきました。
そうなのか。平成狸合戦はまだ続いていたのか。
谷中なんて寺町のどこに狸の安息の地があるというのか。
城崎温泉で事故の療養をしていた志賀直哉は
石を投げられて必死で逃げるネズミと
死なないために必死の自分を重ねました。
そこから「城の崎にて」という短編が生まれました。
僕はと言うと、
狸の写真を撮っていたら、もっといいねがもらえたんじゃないか。
と思っていました。
進歩が人間を退化させる。そんなフレーズが頭に浮かびました。
志賀直哉と比べてなんと矮小な存在になってしまったものか。
いや、待てよ。
志賀直哉だって、当時SNSがあったら
「城崎温泉なう。田舎の子供たちがネズミに石投げている。
山手線に轢かれて死にそうな自分と重ねてしまう。
#最近の子供は #親の顔がみたい #暗夜行路」
という文言と共に、自撮りを上げていたに違いありません。
そして、そこまで言うならお前が助けろよ。とか、
親の顔は関係ないだろ。とか、志賀直哉はオワコンwとか、
そんなこと言われて炎上していたはずなのです。
誰が志賀直哉が今に生きているとして
SNSにアップしないなんて証明できるというのでしょうか。
そうさ。同じ時代に生きていない人間と比べて
自分を矮小だと恥じる必要はないんだ。
そう思い込んだ僕は安心して
ぐっすり眠ることが出来ました。
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