リレーコラムについて

人生はラサール石井のチャイルズクエストに教えられた。

村田俊平

RPGというゲームのジャンルがあります。いわずもがな、ロール・プレイング・ゲームの略で、大体は剣と魔法の世界を、なんらかのコマンドを登場人物に課しながら、ラスボスを倒して世界の平安を取り戻すor姫的なヤツを救う、みたいなあれ。ネットでは、このRPG、人生の大切なことを教えてくれる、ということで定期的に記事やツイートが話題になったりします。

「強い敵と戦っていかないとレベルアップしない」、「大切なアイテムはお金では買えない」、「快適な生活を送ってるのは、ザコばっかり倒してるから」というような側面を指してそう言われていて、なるほど、なんらか私たちの人生を隠喩しているような気がしますね。まぁ、というか、RPG自体がファンタジー要素を盛り込みつつ、人生をモチーフに作られているわけですからそれは当然っちゃ当然ですが。ここで、「レベルが上がるたびに、ルーレットで1〜99まで次のレベルが決まる」、「普通にアリアハンの周りにバラモスがうようよいる」、みたいなことだと、そもそもユーザーが今までオフラインで経験してきた常識と大きく異なるわけですから、居心地が悪い。

さて、それなら、人生そのものをゲームにしたものが一番共感性が高いわけで、僕はここで、「ラサール石井のチャイルズクエスト」(以下チャイクエ)を人生の教科書としてぜひ推していきたい。一般的に、チャイクエは、相次ぐ芸能人ゲームソフトの不振から、同じ穴のムジナ、やはりクソゲーと目されているのでありますが、前年にドラクエ3、FF2の発売を経験し、RPGのゲームバランスとしては成熟しており、どっこい過小評価されていると言わざるをえません。

チャイクエは、ラサール石井プロデュースのかつて実在したアイドルグループ「チャイルズ」(磯野貴理子が所属していた)をゲームの中でプレーヤーがマネージャーとして育て上げる一見平和なゲーム内容で、剣もでてこなければ、世界も崩壊しません。(しかし、”マネージャーの法”としての「まほう」という概念はある)。フィールドを歩き回っていると、突如画面が変わり、敵と対峙する画面はそれまでのRPGと同じ。しかし、そこで行われるのは戦闘ではなく「営業」なのです。コマンドも「ぼうぎょ」のかわりに「耐える」、さきほど言った「マ法」たる「まほう」そして、このゲームの最大の特徴として、「たたかう」のかわりに設定されているのはなんと、「よいしょ」。ここでいう「よいしょ」っていうのは、人におべんちゃらを使って気持ち良くさせるあれ、です。つまり、このゲームでは敵は敵として登場するものの、彼らのしてくるのは物理攻撃ではなく、「とげのあることば」や「おげれつなことば」。それらの口撃、に必死に耐え、「あなたあってのわたしです」、「いっしょうついていきます」とかいいながら相手を最終的に懐柔し、自分たちのファンになってもらう、そういう物語なのです。

これを人生と言わずしてなんといいましょうか!しかも、ゲームが始まった時点では、人間にさえよいしょさせてもらえません。生き物だったらいい方。ゲロや野グソに対してよいしょするところから始まります。なんという腰の低さでしょうか。

ところで、このゲームシステムある思想との近似がみられます。そう、孔子の「子曰、學如不及、猶恐失之。」(『論語』)での学問観です。すなわち、「学問にあたるときは、自分がまだ未熟であることをわきまえ、またそれまで得たものを失ってもいけない」。大意ですが、概ね、チャイクエのマネージャーの精神と合致します。すでに2000年以上前に孔子はチャイクエの登場を予見していたと言えましょう。

他にも、売れたレコードに応じて「いんぜい」が入ってきたり、チャイルズたちが「にょうい」を催したり、ゲーム史上唯一無二のシステムがてんこ盛りだったのですが、現実のチャイルズ自体に人気、知名度がなく、「よいしょ」しながら「営業」する、というあまりに渋いストーリーに誰も子供が買わなかったのは言うまでもありません。結局続編を見ぬままチャイルズクエストはその歴史に幕を閉じますが、その末期でさえも、われわれの人生に示唆を与えるものであるような気がしてなりません。

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